石炭積出港だった北九州「若松」の寂れた街並み、連歌町遊郭跡と赤線跡を求めて

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連歌町遊郭跡と「料亭金鍋」、そして旧土井町

若松の町に明治30(1897)年頃から出来た連歌町遊郭は年々規模を広げ港湾労働者を中心に繁盛を極めていたそうだ。エスト本町商店街のアーケードを外れて中川通り沿いを北に進んでいく。脇道に入った所に黒漆喰で塗り固められた重厚な趣きの「料亭金鍋」の建物がある。筑豊興業鉄道開通からさほど間もない明治28(1895)年開業という超老舗料亭で多くの経済人や文化人の来客で賑わったと店の玄関先に置かれた教育委員会の案内板に書かれている。

二階部分の窓には蝙蝠のシルエット。「料亭の華やかさと官能的な部分を表現しています」と案内板。こうもりは夜の世界の生き物。当時はさぞかし華やかだったことでしょう。

若松出身の昭和の小説家・火野葦平も好んで利用していた料亭金鍋の二階には「葦平の間」という部屋もあるらしい。今回若松は日帰りだったから寄る機会がなかったなー。また次回だ。

さらに若戸大橋前の大通りの信号を渡る。中川通り交差点角には「若松クラブ跡」の石碑がある。これも明治時代に建てられた社交クラブで昭和初期には火事で焼失、その後は若松東宝という映画館になったがそれも閉鎖、2010年解体された跡に出来たのは…パチンコ屋というお粗末な状況。

さらに北側に出ると住所は若松区中川町に変わる。まだまだ商店街の成れの果てといった雰囲気で歩道には雨除けの赤いテント屋根が掛けられている。ちょいちょい古い飲食店はあるが人通りは殆どない。

そして並んでいる店のレトロっぷりがまたツボである。これはクリーニング屋でしょうな。高級ドライ・ハレルヤドライ。「高」の字がハシゴ高になってるあたりも年代を感じさせます。

戦前の時代より船で半島から筑豊の炭鉱に多くの朝鮮人労働者がやってきて、石炭の積出港として筑豊と繋がりの深かった若松の街にはちょいちょい年代物の焼肉屋があったりする訳ですね。

まだまだ好奇心をくすぐられそうな天然記念物級な店構えのうどん屋が並んでいたり興味の尽きない界隈だが、今回探しているものはそういう普通の物件ではない。

中川通りを歩くと先程まで居た旧連歌町通り、昔遊郭があったらしい市場の通りが斜めに走っているのが見える。名残りなんてあったものではございません。戦後に赤線に移行した色街は中川通りを越えてこちら側で栄えていたらしい。

そんな中川通りを西に逸れた若松区中川町の住宅地が今回のフィールドワークのメインディッシュである。予備知識無しで訪れたとしても何の事もない普通の街並みにしか見えないだろう。一応小さいながらにスナック街はあるんですけど。この界隈は旧地名で言うところの「土井町」と呼ばれていた一画。

見た所何も無さそうな住宅地。連歌町遊郭が戦後、赤線に移行してからはこの辺の住宅地が盛り場だったらしい。やはり名残りらしきものはない。

しかし道すがら目にするやけにモダンな店構えの散髪屋に色街の残り香をふと感じてしまうのであった。理容ハーロとある。ハローじゃなくてハーロ。足回りの豆タイルといいすべからく赤線風味。

そんな路地を抜けた所に一軒の何の変哲も無い町の酒屋さんが建っている。この酒屋自体は別にどうでもいいのだが、ある噂によるとこの場所に夜な夜な客引きのババアが立っているという。にわかに信じがたいシチュエーションである。

そして酒屋の角を右に入った辺りにまるで戦後のドサクサで建ったような平屋のオンボロバラック家屋が連なる怪しげな一画がひしめいているのが見えた…これは…詳しくは語りません。あとは現地でお確かめ下さい。

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石炭積出港だった北九州「若松」の寂れた街並み

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新日本DEEP案内およびDEEP案内シリーズ管理人兼編集長。2007年「大阪DEEP案内」開設、2008年「東京DEEP案内」開設、2009年「日本DEEP案内」開設、2010年「世界DEEP案内」開設、2013年「新日本DEEP案内」開設。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。首都圏を中心に飛ぶような売り上げを記録し増刷決定。
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