石炭積出港だった北九州「若松」の寂れた街並み、連歌町遊郭跡と赤線跡を求めて

かつてあった5つの市が合併して出来た北九州市の中でも「若松区」という場所は戸畑から洞海湾を挟んだ反対側の若松半島の先っちょに中心市街地があり、ここはかつて筑豊から運ばれてきた石炭の積出港として大いに栄えた街だった。

若戸渡船に乗って若松港に行きましょう。レトロな港町

対岸の戸畑から若戸大橋を渡って若松に入る。半島の先にあるという地形上の事情もあって、全体的に寂れ気味な北九州市の街の中でもその傾向は一段と強いようで、交通のボトルネックを解消するべく2012年にはバイパスとなる若戸トンネルが完成、戸畑方面との行き来がしやすくなった。

石炭の時代はとうの昔に終わってしまった訳だが、現在でも洞海湾に面した若松港を眺めると海岸沿いには大正7(1918)年築「旧古河鉱業若松支店」など石炭や海運関連の会社の事務所であったレトロな建物がずらりと並び栄華の名残りを感じる事が出来る。門司港レトロほど「いかにも」な雰囲気ではないが結構観光客がちらほら居ます。

その若戸大橋の下には若戸渡船の乗り場がある。橋が出来る前からあった市民の貴重な交通手段。「ポンポン船」の愛称で親しまれている。鉄道で小倉方面から来るとJR筑豊本線が接続している折尾駅を経由する為相当大回りして時間が掛かってしまう訳で、戸畑駅で降りてこの船で来る方が早い。

まるで鉄道駅の改札のような雰囲気の若戸渡船乗り場。明治時代から運航されていた歴史ある航路。昼間1時間4本ベースの運航ダイヤで、運賃は大人100円とかなりお安い。

待合室兼改札の壁には地元DQNの落書きがわんさとある。まあなんというか地方ならではの風景ですな。若松を離れたKYYSさんはどこの街に行ったのでしょう。

ポンポン船だからと「ぽぽぽぽーん!!」と記念カキコしている安直な女子三人組。2011年の日付を見ても分かるが「ポポポポ~ン」は2011年のネット流行語大賞の金賞受賞。未曾有の災難であった東日本大震災の印象は九州人から見ると乱発されたACジャパンのテレビCMくらいか。それはいいけど落書きは駄目ですよ。

若戸渡船乗り場の真向かいには一際立派な「上野海運」のビル。大正2(1913)年に旧三菱合資会社若松支店として建てられたもので現在は海運会社の事務所だけではなくレトロ観光スポット的に使われているようでカフェとか雑貨の店が入っている。

洞海湾を挟んだ向かい側の戸畑からもレトロ建築物。ニッスイ(日本水産)戸畑ビル。日本水産株式会社と言えば冷凍食品で有名な企業だが東京に進出する前は戸畑が本社だったそうで。こうして見ると若松と戸畑は目と鼻の先にある事が分かる。ポンポン船がいかに有用な交通手段か分かりますな。

石炭積出港の歴史を物語る荷揚げ場「弁財天上陸場」。明治時代から石炭の積出しが行われていた若松港で大正時代に整備されたもので一部改修された状態で保存されている。

こちらは明治38(1905)年築の「若松石炭会館」。近年では門司港レトロに続けとばかりに観光アピールをしているようだがその昔それはそれは男臭い港だったであろう若松港、街には当然遊郭もあった訳で、今回はそうした若松の街の表裏あれこれを見てやろうと思って来たのだ。

若戸大橋を背に通称若松バンドと呼ばれる海岸沿いの通りを離れて市街地の方へ向かう。期待通りのっけから古臭い街並み。

若戸渡船乗り場から西に300メートル程歩いたあたりで商店街のアーケードが姿を現すはずだ。この付近は渡船を乗り降りする地元民の通行人が比較的多い。

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石炭積出港だった北九州「若松」の寂れた街並み

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新日本DEEP案内およびDEEP案内シリーズ管理人兼編集長。2007年「大阪DEEP案内」開設、2008年「東京DEEP案内」開設、2009年「日本DEEP案内」開設、2010年「世界DEEP案内」開設、2013年「新日本DEEP案内」開設。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。首都圏を中心に飛ぶような売り上げを記録し増刷決定。
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