【加賀藩遊郭の系譜】北陸の小京都・金沢市の隠れ家的花街「主計町茶屋街」

加賀藩が金沢の街に整備した遊郭のうち有名な3ヶ所、にし茶屋街+石坂(西廓)、ひがし茶屋街(東廓)は既に訪問を済ませ、これから行く所が主計町(かずえまち)茶屋街である。

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この主計町茶屋街というのはひがし茶屋街から浅野川大橋を渡った向こう岸すぐの場所に現存している。東西の茶屋街に遅れて明治2(1869)年に遊郭の設置が認められ3番目の遊郭として開かれた場所だが、みるみる発展して今では金沢の三大茶屋街の一つの位置付けられている。

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浅野川に面して茶屋街が連なる光景はこの主計町でしか見る事が出来ない。有名なひがし茶屋街と比べるとこちらはいかにもな観光客の姿が殆どおらず、かなり穴場的な印象を受ける。

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川沿いの茶屋街という風情のある景色の中を歩いてみると、どうもデジャヴな感覚に襲われる。どうも京都臭さが強いと思ったら、嵐山の渡月橋を思わせるようなデザインの橋が架かっていた。中の橋と言うそうだ。

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しかしこの街並みを見てるだけではドキドキ感が物足りない気がしなくもない。金沢の茶屋街では京都みたいに舞妓はんが出て来るような展開もないので、ここは街並みに萌えたいよね。

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だけど笑えるのが映画「舞妓Haaaan!!!」のロケ地としてこの主計町茶屋街が使われたという事。だって京都臭いんだもんここ。まさか金沢で撮られたとは見てる側も気付かんだろこりゃ。

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浅野川沿いの茶屋街の途中に奥の路地へ入る抜け道がひっそりと口を開けている。お茶屋でギャラリーの「照乃屋」の脇からどうぞおこしやす…じゃなくて、きまっし。

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一見川沿いの景色が華やかそうに見えた主計町の街並みも、路地裏に一歩忍び込んだ瞬間に途端に薄暗くなる。今は民家として使われているらしき、元お茶屋の建物が目に付く。

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川岸の狭い平地にあるためか路地裏の建物は密集率が高く、かなり窮屈な印象を受ける。両側からお茶屋の建物が押し迫るかのような眺めだ。

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路地の奥に僅かに広がるスペースがあり、その右側の建物が「主計町事務所」とある。

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事務所と書かれてしまうと何だかそっけない感じだが要するにここが花街の検番といった役割の所だろう。踊りの稽古などもするようで三味線の音も聞こえてくる時があるというが、我々が通りがかった時は静まり返っていた。

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その先が「暗がり坂」という意味深なネーミングの階段坂となっている。折りしもこのドカ雪のせいで階段の積雪が酷く登れる状況ではなかったが、階段を上がると久保市乙剣宮の裏手に通じている。かつては神社の裏から男どもが暗がりの遊郭に遊びに下りていた。そんな意味だろうか。

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もう一本隣にはさらに狭い路地が迷路のように続いていた。元遊郭の仄暗さはこんな所に残っているものだ。ひがし茶屋街のように下手に観光地化が進んでいない分、街並みのダークさが今だに生きている感じがする。

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折り重なる妓楼の先に蛇がうねったような上り階段の坂が現れる。こちらは神社に通じておらず住宅街を縫って外に出るルートとなる。

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この坂の名前は長らく名無しだったらしいが作家の五木寛之氏が自分の小説の中で「あかり坂」と名づけて、それが正式名称になってしまっている。

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「あかり坂」のある横道を過ぎてお茶屋密集地帯を抜けると急に何の変哲もない住宅街に変わる。どうやらここまでのようだ。

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そのまま路地を抜けると浅野川大橋のたもとに出てきた。

ちなみに主計町茶屋街のある住所は金沢市主計町になっているが実は昭和45(1970)年の「住居表示に関する法律」で尾張町二丁目に編入されてから長らく地名が消えてしまっており、平成11(1999)年に金沢市と住民の希望で主計町の地名が復活した経緯がある。これが旧地名に戻された初めての例らしい。


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新日本DEEP案内およびDEEP案内シリーズ管理人兼編集長。2007年「大阪DEEP案内」開設、2008年「東京DEEP案内」開設、2009年「日本DEEP案内」開設、2010年「世界DEEP案内」開設、2013年「新日本DEEP案内」開設。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。首都圏を中心に飛ぶような売り上げを記録し増刷決定。
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