香林坊から犀川大橋の手前までが片町の繁華街エリアになっている訳だが、その終端の犀川沿いの路地を歩いて行く。犀川大橋の両側はスナック密集ビルが乱立する一角。川向かいの「石坂」の存在もあるわ、金沢の中ではどこかしら陰の要素を強く持ったエリアだ。
犀川沿いの路地を抜けると再度百万石通り(国道157号)に出て来る。それにしてもこの豪雪のせいで何度も足止めを食らう事になる。
百万石通り沿いの雑居ビルにやたら目立つ看板がある。盛り場にはよくあるお店と思ったら「日本人では味わえない中国人女性の悦び。」だって(笑)はいはいハニートラップですね分かります。
百万石通りを跨いだ東側も飲食街。だがこっち側は高層ビルが少なく見た目の圧迫感がないため随分印象が違う。
そしてお水系のビルが目立つのは相変わらず。
よく見たらフィリピンパブもあったみたいです。金沢でフィリピン系の店を見たのはこれが最初で最後だった。関東とか東海に行くとウジャウジャあるけどな。
後は飲食街がだらだら続いているだけで吹雪が酷くなってきたので退散。
またまた百万石通りに戻ってきた訳だがここから南側は犀川大橋を挟んで野町方面に至る。金沢の街の中心を流れる犀川で最も代表的な橋。大正13(1924)年に建造されて以来現役の鉄橋で登録有形文化財の指定を受けている。
この橋を渡るとさっき訪問した「にし茶屋街」や石坂のスナック街などがある。犀川大橋がある場所は犀川中流域にあたり、まだまだ日本海に抜けるには距離がある。
犀川大橋を渡りさらに川沿いに南下すると蛤坂を登り忍者寺(妙立寺)などがある寺町へ抜けられるが、その手前にも見落とすには惜しい物件がある。
犀川を望む蛤坂上の高台にある重厚な作りの「山錦楼」である。ここから見ると3階建てだが反対側の崖下から見るとさらに地下1階があり4層構造の巨大な木造建築になっているのだ。
もともとは明治38(1905)年創業の老舗料亭だが、大正時代に建て増しして今の形になったらしい。昔の金沢にはこのような巨大木造建築の料亭があちこちにあったそうだ。
さすが北陸小京都・金沢だけあって「山錦楼」は現役の格式高い料亭ざます。この入りづらそうな玄関口を前にDEEP取材班はさりげなく通りがかるだけでさっさと退散しました。