【金沢市増泉一丁目】赤線建築が残る金沢の遊郭跡・にし茶屋街裏「石坂」を歩く(2011年)

石川県

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加賀百万石の歴史ある都市・金沢にはここ「石坂」以外にも北廓、東廓、西廓、主計町の4つの遊郭があった。そのうち3つはすっかり観光地化されている「ひがし茶屋街(東廓)」「にし茶屋街(西廓)」「主計町茶屋街」である。整然とした茶屋街の街並みを見て祇園のようなイメージを思い浮かべるだろう。

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しかし高貴な芸者遊びと言えども行き着く所は男女の営み、女郎屋の人間模様とさして変わらない。華やかな前者のイメージに準ずれば立派な観光地となるが、女郎屋とも呼ばれた遊郭の大半は売防法という法の壁の前で社会から抹殺され人の目につかぬ所で死に絶えるしかない。

地上 地に潜むもの

大正時代の文学作家・島田清次郎の「地上―地に潜むもの」は、自らにし茶屋街の貸座敷「吉米楼」で育った思春期の体験をもとに、若干二十歳にして花街に生きる女の壮絶な貧しさと人生を描いたリアルな物語である。

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路地裏に妓楼が今なお立ち並ぶ石坂の風景に戻る。猫目の窓飾りが印象的な妓楼のある細い路地を出るとその先もスナック街だ。やや広いめの道が県道側から伸びているが、さっきの「第三飲食街」などがある路地からは回り込まないと入れない。

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道なりに行くとさっき通った南側の抜け道の出口が見える。そこもやはりスナック街だった。その手前は中途半端な空き地となっている。

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途中のやや広いめの路地を折れると向かいの公園に通じる。殆ど住宅街然としているがこの付近もおおよそスナック街の名残りを留めている。

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相変わらず通りがかる人の姿もない場所だが、普通のアパートなんかに混じって妓楼の成れの果てと思えるような古い長屋に一品料理屋が看板を出していたりする。

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公園側に近づくにつれ怪しげなスナックが目に飛び込んでくる。パッと見普通の場末のスナックだが、公衆電話ボックスのような体裁の赤いテントが珍しい。何なのだろうか。

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確実に四半世紀以上は商売を続けてそうな風貌のスナックである。店の前には雪かきで集められた大量の雪。

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向かい側の角に立つ「スタンドバー」の軒先にも赤いテントが玄関口に被せられていた。ただの雪国仕様なんですかね。そうで無ければ、店の表に座り込む客引き要員向けにこしらえた防寒テントだったりして。

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「赤いテント」さえ無ければ何の変哲もない寂れた街角でしかない訳だが…今回夜の様子を見れなかったのが悔しい。また来よう。

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さらに公園を取り囲むようにスナックの店舗が民家に混じって看板を連ねている。

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ちなみに石坂のスナック街では2007年10月に韓国人経営者が売防法違反で捕まっている。確か「みるく」という店名だったが、潰れてしまったのか見当たらなかった。

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石坂が隠れピンクゾーンだという事を如実に語るホテル金沢アイネの建物は県道沿いにある。なんで上層階だけ出っ張った構造になっているのかよく解らんが、この界隈でラブホはここ一軒のみ。

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そしてこんな曰く付きの場所に限って託児所がきちんと置かれているという現実。「ぽこぽこクラブ」とは、「ガキなんかぽこぽこ産みやがって」の”ぽこぽこ”でしょうか。しかし同じビルに入っているのがスナックと雀荘という所が香ばしいですね。この託児所で育てられた子供から、果たして平成の島田清次郎は現れるだろうか。


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