仁斗田港から集落に上がっていく。港の方は被害が目立っていたが少し陸地に上がると町並みは別段何も変わらないように見える。本土側の石巻市街地の惨状が目に焼き付いているのでそれと比べれば拍子抜けする程無事である。この状況でなら島の猫もその多くは逃げ切れたであろう。
集落にある家はどれも古い木造家屋ばかりだ。あまりどの家も生活感がないし何より島民の姿を殆ど見かけない。
…と、ようやくすれ違った島民のお婆さん。田代島の高齢化率は8割以上らしい。猫島は限界集落とも言える状況。
震災後も人口が減って60人程度しか住んでいないという田代島だが、仁斗田港に近い側の民家はまだまだ人の生活が伺える。
民家の玄関先に置かれた猫の置物達。こういう風景も、さすが猫島だけの事はある。
今では限界集落かも知れんがかつてマグロ漁で栄えた田代島、漁で富を得たらしき先人の建てた二階建ての木造家屋はなかなかご立派である。
使われていない土蔵が蔦まみれになっていた。これは仁斗田生まれの江戸時代末期の貿易商、平塚八太夫の土蔵だと建物の側に案内板が置かれている。つまり江戸時代の蔵がそのまま残ってるという事ですな。
案内板には「北はサハリン、南はフィリピン・ベトナムまで交易を行い巨万の富を蓄えた」などと書かれている平塚八太夫ってどんな人物だったのか凄いなあと思うが、それ以上に昔の土蔵って丈夫なものだと感心する。
廃屋と化して長いようだがこれもまた立派な作りの木造家屋。窓ガラスの開き戸が2階部分にふんだんに使われている。中から手摺や障子などが見える。もしかすると過去は民宿か何かだったのかも知れん。
建物の中に目を凝らすと中の障子はビリビリに破けていた。かつては人間様の住まうお屋敷だったが今は猫屋敷にでもなっているのだろう。
仁斗田港から稲荷神社に通ずる反対側の南の浜に面した一帯は津波の被害が激しく海沿いの家屋が全部流されてしまっていた。津波のエネルギーがモロに届いたのだろう。
長らく放棄されたであろう神社の廃墟が見える。鳥居と社殿は草木に半分以上覆い被さっていた。昔は1000人くらい住んでいたのだから島の至る所に氏神様が祀られていたはず。かつての集落の繁栄を示している。
海を一望できる高台の上には2000年に整備されたアウトドア施設「マンガアイランド」が建っている。なんでマンガなのというと漫画家の石ノ森章太郎氏(故人)が石巻市ゆかりの人物(出身は現・登米市)で市を挙げて「マンガの街」という事で町おこししていてその一環らしい。
マンガアイランドの中にはキャンプサイトに加え貸しロッジもあって宿泊利用も可能。この貸しロッジも猫島に肖って猫型という徹底ぶり。
やっぱり漫画というより猫一色だよな…ちなみに5つある猫型ロッジの中には5人の漫画家先生方が描いた猫の絵などが飾られているとの事。
この施設も震災後長らく営業休止していたが、2012年7月中旬からようやく再開にこぎつけている。これまで民宿での宿泊が難しかっただけに、これで田代島に一泊する事のハードルが下がった気がする。結局我々は島に泊まらなかったけど。