【信州の羊肉食文化】長野県伊那市へ「ローメン」を訪ねて三千里、いや萬里

長野県

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伊那市のソウルフード「ローメン」を食らう為に先程から伊那の中心市街地をうろうろしまくっている訳だが、ローメン発祥の店である「萬里」に入店するべく、いつしか胡散臭い路地に足を踏み入れていた。

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そこは小沢川が天竜川に合流し、国道361号と国道153号が合流する入舟交差点の南西一帯にあたる。図らずもソウルフード誕生の地はもっともらしい路地裏に潜んでいるという事だろうか。

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入り組んだ路地に飲み屋やスナックやら、いかにもな店ばかりが詰まっている怪しい雑居ビルの谷間を抜ける。

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しまいにはパチンコ屋の廃墟まで現れるという場所だ。きっと昔はそれなりに歓楽街だったのだろうな。黄色とオレンジのテント屋根を通して漏れる日差しに昭和の面影あり。

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よく見るとパチンコ屋の向かいの雑居ビルも飲んだくれ横丁だった。居酒屋ばっかり並んでるけどここも韓国居酒屋があるぞ。微妙にコリアタウンな香りがします。

そして隣の居酒屋に「ローメン」の字を見つけた。伊那市内でローメンを出す店はこうした何の変哲もない居酒屋だったり、食堂だったりする。

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そしてとうとう見つけた、ローメン発祥の店「萬里」。あえてジャンル分けすれば中華料理屋になるのだろうが、落ち着いた佇まいの店である。ひとっ気のまるで無い街中にあって、既に店内は満漢全席、いや満席の模様。さすが。

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昨今の無節操なB級グルメ街おこしが鼻につく今日この頃だが、伊那のローメンはいたって地元密着型。本家本元の萬里の店内は家族連れが半分、明らかに地元の客と思われるオッサン一人ないし夫婦連れといった人々が陣取っていた。

ローメン以外にも色々変な一品料理がある訳だが大人しくローメン大盛を頼む事にする。

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料理が来るまで待っている間に店内を見回したが、店の奥にずらりと並べられた瓶入りの何だかよく分からない酒と、精が付きそうなメニューの数々。

「大スズメ蜂、アルマジロ、虎のペニスと睾丸、コブラ、マムシ、冬虫夏草、さるのこしかけ、オットセイのペニスと睾丸」…ローメンはさておき、これらの食材も気になってしょうがないが全部焼酎漬けだった。飲酒運転は出来ないので、今回はパス。

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しばらく待ってやってきた「ローメン」。一言で言えば汁入り焼きそばみたいな感覚。青森県の黒石で食った「つゆ焼きそば」に近いものを感じる。店によって作り方もかなり違う所も、黒石のつゆ焼きそばに通ずる。

カウンター席に備え付けの酢を掛けて食うと味覚が締まって旨い。他にもソースや七味やごま油なども置いていた。自分の好みで味を調節しろという意味らしい。

ちなみに具の中に入っている肉はマトン(羊肉)である。戦後の食糧難に牛や豚は高価だったので、代わりにマトンが使われた。羊毛生産が盛んだった伊那市では羊毛を取った後のマトンが安く手に入ったからだ。それに独特の太麺は冷蔵庫が一般的ではなかった時代、長期保存に耐えられるように蒸し麺に改良したもの。麺の改良の経緯は富士宮焼きそばと共通している。

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戦後の貧しさの中から知恵を絞って作られた料理であること、そして伊那以外では存在が殆ど知られていないというのも、ローメンはまさにソウルフードと呼ぶにふさわしい料理。地元民しか近寄らない、伊那市の街角にあるこんなちっぽけな路地裏から生まれたのである。

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ちなみに国道沿いから路地に入る手前にも「萬里のおやじの店」と書かれた店舗が存在するが、最初間違えてこっちに入りそうになった。だって「ローメン誕生の地記念碑」なんてものが置いてあるもん。

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ローメンという呼び方も元は炒肉麺(チャーローメン)と呼んでいたものが簡略化されたようだ。先代の萬里の主人である伊藤和弌氏が生みの親で、東京や横浜で料理人修行した後に故郷の伊那に帰ってきて中華料理屋を始めて、昭和30(1955)年にローメンを開発。現在に至る。


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