日本最大のブラジリアンタウン・群馬のブラジル「大泉町」 

群馬県

東武鉄道で浅草からおよそ1時間半、利根川を渡った先の群馬県邑楽郡大泉町という人口4万程の町が最初の目的地だ。

この大泉町、隣接する太田市とともに全国最多の在日ブラジル人が密集するエリアとして有名なのだ。人口の16%がブラジル・ペルーを中心とした南米からの移住者という驚異的な自治体。

1990年の出入国管理法の改正で日系ブラジル人の労働が解禁されて以来、関東ではこの大泉町と太田市が、それに東海地方では岐阜県美濃加茂市や大垣市、愛知県豊田市や小牧市、豊橋市、静岡県浜松市などの工業都市を中心に日系ブラジル人労働者が積極的に受け入れられ、全国各地にブラジリアンタウンが形成されている。しかし人口比率を総合するとここ群馬県大泉町にかなう街は存在しない。

大泉町の玄関口は東武鉄道の西小泉駅。相当遠い印象なのだが実は浅草から940円で来る事ができる。東武伊勢崎線館林駅から小泉線に乗り換えた先の終着駅。しかし昼間は1時間に一本しか電車が来ない。結構不便だ。

西小泉駅の券売機横には、出稼ぎブラジル人にも分かりやすいようにポルトガル語表記の案内が載せられている。

最果て感漂う駅の改札は一応PASMO対応になっているものの簡易式。寂れているもののやけに駅舎が立派なのは、戦前の昭和16年に開業した当時、この町にはゼロ戦で有名な中島飛行機の工場があり、工場の物資を運搬する貨物駅としての機能も併せ持っていたからだ。現在その敷地は敗戦を経て米軍に接収された後、同じく町の工業の中心である三洋電機の工場として稼動し続けている。

どこの地方にも見られるようにモータリゼーションの影響が強く、駅前は見事に寂れまくっている。駅前ロータリーには無料で車を停める事のできる駐車場がある。

だが少し周りを見渡すとポルトガル語で書かれた看板がやたら目に付くのがブラジリアンタウン大泉町らしいところ。

「宮城商店」と書かれてはいるが完全にブラジル人向けの店。Cantagaloというポルトガル語の別名がある。

単なる個人商店の域を超えて在日ブラジル人の生活サポートも盛んに行われているようだ。ポルトガル語で書かれた膨大な数のチラシが置かれている。

宮城商店の向かいの八百屋も普通の八百屋とはちょっと違っている。パッと見た目は普通ですが…

売られている野菜の一つ一つがポルトガル語表記なのだ。キャベツはRepolho、ニンニクはAlho。いつも日本のスーパーで見慣れているはずの野菜だが違う言語で書かれると不思議な感覚に襲われる。

西小泉駅前を東西に貫く国道354号が街のメインストリート。道沿いには古い日本人経営の店とブラジル人経営の店が半々くらいの感覚で並んでいる。ここが日本なのかブラジルなのかさっぱりわからん状態。

でも傾向としては新しい店がブラジリアンショップの方ばかりなので長期的に見るとどんどんブラジル化しちゃっているのかも知れない。あと数十年すると日本人の方がマイノリティになってしまいそうだ。

ブラジル人はタトゥーが大好きなのか知らんがやたらとタトゥーショップを見かける。感覚的にはファッションの一種なのだろう。日本では一般的に刺青を入れるのは893な方々か薬をキメたのりピーだったりするんですが。

車で大泉町を走ると、コンビニであっただろう店の敷地が思いっきりブラジリアンショップであることが多い。こうした街並みは隣の太田市の区域にまで広がっている。

大泉町に日系ブラジル人が集まるのは、給料のいい日本の仕事、工場労働があるからだ。三洋電機を中心とする大泉町の工業は、町の財政を潤している。群馬県でもトップクラスの財政力を持つ自治体である。で、企業と末端の外国人労働者の間を受け持つのが、やはりこうした工場系人材派遣会社だったりする。

町の至る所に、おおよそ日本らしからぬナイトスポットが点在している。夜になればまた別の異様さを見せるのだろうが残念ながら町を訪れたのは朝っぱらだったので、次に訪れた機会に見てみたい。

また、国道354号沿いには「大泉日伯センター」なる施設も。日本語がしゃべれないまま出稼ぎにやってくるブラジル人労働者に日本語教育を行ったり学校(日伯学園)を作ったり色々している。

文化習慣の違う日本人とブラジル人の共存共栄の道は生半可なものではないだろうが、ともあれこうした架け橋的な施設の存在が地域の安定をもたらしている事は間違いない。

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