太宰治と吉幾三と羽柴誠三秀吉の故郷!五所川原市「金木町」を歩く 

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太宰治が有名過ぎて今更語るまでもない存在だが、一応遠路はるばる津軽半島までやってきた訳で、一応メジャーな太宰治関連の施設にも寄ってみる事にした。

寂れた商店街の一角に太宰治が戦時中に疎開してきたという「津島家新屋敷」がある。定番的な斜陽館に比べるとこちらは訪れる観光客も少なく穴場的存在。聞く所によると建物の所有者が変わって2006年になってから一般公開されるようになったとのこと。

シャッター通りとなった商店街の中に大きな看板が立っているのですぐに目に付く。入場料500円が必要だが、館主のお兄さんの津軽訛りによる丁寧な解説が付いてくる。和室に車座になりながら昔の金木町地図を広げ、地名の由来、津島家について、詳しく説明を受ける。

大正時代に建てられた新屋敷の玄関付近から金木町役場が見える。太宰文学を知る方々には説明するまでもないかも知れないが、太宰の生まれた津島家は青森県有数の豪族で金木町の中心的存在。町役場から銀行から自分の家の回りにかき集めてしまった名残りなのである。

新屋敷の中庭にも豪勢な日本庭園が築かれている。もともと新屋敷があった場所は今の斜陽館と棟続きになっていたそうだが、太宰治の死後、津島家が屋敷を手放した際に今の場所に曳家移転されたという。

現在、観光客に開放されている斜陽館とは違い、太宰の兄の結婚を機に離れとして建造された建物になるわけだが、それでもかなり立派なものである。当時の津島家がどれだけ権力を持っていたのか、離れの建物ですらその力が感じられる。

他にも太宰が疎開中に執筆活動を行っていた部屋などがそのまま残っている。

てっきり日本建築かと思っていたら板張りの洋室もあるなど殊の外部屋数も多い。部屋ごとにそれぞれエピソードもあるが、詳しくは現地に行って是非館主のお兄さんの話を聞いて頂きたい。

斜陽館の前までやってくると、向かい側には土産物屋兼食堂である「金木観光物産館マディニー」の建物がそびえる。金木町の観光資源としてやたら力を入れまくっているのが分かる。

太宰らうめんだ太宰治御膳だのと食堂のメニューも節操なさ過ぎでむしろ清々しいくらいである。これで「太宰くん」などとゆるキャラまで出来たら完璧だろう。

さらにおみやげコーナーで「生まれて墨ませんべい」を見かけてしばし脱力しながら過ごす。こんないじられ方をされるなどあの世の太宰本人も想像だにしなかったであろう。俺らこんな村(以下略)

豪族津島家の屋敷として、戦後は建物が売却され長らく旅館として続いたが経営悪化により1996年に当時の金木町が建物を買い取り、現在の「太宰治記念館・斜陽館」になった。

巨大なレンガ造りの壁は、小作人達がいつしか一揆を起こした時に備えるように築かれたそうである。今どきなら田園調布とかにこういう家あるよな。時代やお国は変わっても社会構造は変わらない。

青森ヒバの産地として「金のなる木」だと言われた地名の由来を持つ金木の町で元衆議院議員でもあり、多くの小作人を抱え、金貸しで大地主にのし上がり財を築いた津島源右衛門の六男坊として生まれたのが太宰治だった訳だが、こんな村のこんな家に育てられたらそりゃ「俺らこんな村嫌だ」と反発するだろうなという程、立派過ぎる屋敷である。


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新日本DEEP案内およびDEEP案内シリーズ管理人兼編集長。2007年「大阪DEEP案内」開設、2008年「東京DEEP案内」開設、2009年「日本DEEP案内」開設、2010年「世界DEEP案内」開設、2013年「新日本DEEP案内」開設。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。首都圏を中心に飛ぶような売り上げを記録し増刷決定。
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