戦後は赤線、第二の中洲と呼ばれた街「雑餉隈」(読めない)を歩く 

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福岡市 雑餉隈

銀天町商店街のアーケードを出てさらにその先へ。相変わらず空き店舗のまま放置されたテナントが多いが、一部だけは以前の歓楽街の名残りのようなソッチ系の店も未だに営業している。久留米の花畑みたいな旅館も沢山あったんだそうですが、これも完全に潰されてしまっている模様。

福岡市 雑餉隈

筑紫通りに出ると、随分如何わしげな店舗ばかりが密集する一画がある。ここいら周辺が「第二の中洲」の成れの果てみたいな場所だったのだろう。軍隊の街だったという必然性から戦後は赤線地帯が出来て、その時の空気が僅かに残っている。しかし博多港の大浜の赤線跡にあったような豆タイル貼りのモダンなカフェー建築は見当たらない。

福岡市 雑餉隈

さらに雑餉隈駅周辺にあった旧軍基地や造兵廠も戦後米軍に接収されていた。造兵廠跡地は米軍板付基地(春日原基地)があり、昭和47(1972)年に日本に返還されるまでの間は米兵達の姿で歓楽街が栄えていったのだろう。

福岡市 雑餉隈

しかし現在の雑餉隈のスナック街でやけに目立つのはフィリピン国旗である。あちらこちらにフィリピンパブの店舗が点在していて、ここは福岡のリトルマニラか何かでしょうかと目を疑いたくなる光景。そんな街並みに唐突に保育園があったりする素敵な教育環境、雑餉隈の子供達もその地名通りに雑草のごとくすくすく育っていくのでしょう。

福岡市 雑餉隈

筑紫通りの裏側あたりはかなり濃密な路地裏風景が見られる。本当は夜にでも来た方が良かったかも知れんが、今でも自衛隊員御用達なんでしょうかね。

福岡市 雑餉隈

昼間っから大音響で浜崎あゆみっぽいBGMをスピーカーから轟かせて客引きしまくっているソッチ系の店もある。近所迷惑とかそういう概念はないんでしょうか、地域柄もう慣れっこなのかも知れんが…そう言えば浜崎あゆみも福岡出身だったな…

福岡市 雑餉隈

今でこそ全くもって寂れてしまっているが戦後に色々なエピソードを産んできた街なんですな。そういえば雑餉隈で武田鉄矢と並んで有名なのが孫正義率いる「ソフトバンク」創業の地としての歴史。

福岡市 雑餉隈

孫正義社長と言えば在日韓国人起業家としても有名だが、佐賀県鳥栖市の鳥栖駅構内の鳥栖市五軒道路無番地と呼ばれていたバラック地帯の出身で、若い頃に雑餉隈に住んでいた在日韓国人の親戚の融資を受けて雑餉隈駅前にあった雑居ビルの一室にコンピュータ卸売業の「ユニソン・ワールド」を設立したのが始まりとされている。ソフトバンクは今や3大携帯キャリアの1つにまでなり地元球団をも抱える福岡を代表する企業となった。雑多な人種が集まる雑餉隈の街で、孫社長は経営者としてまさしく雑草のように育っていったのだろうか。

福岡市 雑餉隈

そんな街並みを通り抜けていくとJR南福岡駅に辿り着いた。こっちは駅前が再開発されて駅ビルの上が賃貸マンションになっているという変わった構造。昔はここも雑餉隈駅と呼んでいたが、昭和41(1966)年に南福岡駅に改称している。

福岡市 雑餉隈

こちらの駅前も目の前の立派な駅ビルマンションだけが晴れだって見えるが周囲はしょぼくれた場末の寂れた下町風味。駅前ロータリーの角に随分年季の入った角打ち居酒屋があったが、どうも営業していない模様。うむむ…

福岡市 雑餉隈

昔はこの駅から遊びに向かう男性客が沢山居たのだろうな、という事を思い浮かべななら電柱に括りつけられている意味深な標語を読むと笑える。

「悪いこと しそうになったら 自分の心と話し合い」

そういう店も殆ど潰されて、雑餉隈ではあんまり悪い事出来なさそうですけどね…今の福岡の盛り場は中洲一人勝ちのようです。我々はそのまま電車に乗って博多駅に帰っていった。


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新日本DEEP案内およびDEEP案内シリーズ管理人兼編集長。2007年「大阪DEEP案内」開設、2008年「東京DEEP案内」開設、2009年「日本DEEP案内」開設、2010年「世界DEEP案内」開設、2013年「新日本DEEP案内」開設。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。首都圏を中心に飛ぶような売り上げを記録し増刷決定。
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