昭和な街並み、遊郭の名残り…日本が誇る大温泉都市「別府」は永久に不滅です

大分県

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駅前高等温泉と北部旅館街

JR別府駅東口の駅前通りを歩くとすぐ右手に現れる存在感溢れるヨーロッパ風味のモダンな洋館「駅前高等温泉」。大正13(1924)年に建てられた老舗の共同浴場である。高等温泉なる言葉の響きがもはやレトロ。

そんなハイカラな銭湯に入ってみない訳がなかろう。実はこの駅前高等温泉、入浴だけでなく宿泊も可能になっている。事前に予約を取って泊まる腹積もりで来た。玄関先に「町営」と書いているが、これもどこぞの営利企業ではなく近隣の自治会が運営している。

2階の客室は個室と共用の広間に分かれており前者は1人2500円、後者は1500円(入湯税別途)とお値打ち価格。最低限の設備だが浴衣と布団が置いてあるだけでもう満足。ちなみに入浴だけだと200円。

「あつ湯」「ぬる湯」と2つある浴場はひっきりなしに地元民が客でやってくる。客室のある2階へ上がる階段はさすが大正時代の建築物だけあって年季の入った造りをしていて旅情気分満載。

…まるで昔の学校の校舎みたいな感じがしなくもないが(笑)昔の仕様なので個室でも声がダダ漏れである。いびきとか寝言とか喘ぎ声とかは丸聞こえなので要注意である。

もちろんトイレは男女共同で廊下の奥にある。手前の窓は客室になっている。今時の神経質な人にはちと厳しいですかね。でも一泊2500円だもん。

高等温泉じゃなくても別府駅周辺には老朽化して昭和丸出しの温泉ホテルが腐る程あるので泊まる場所に困る事はない。たいてい5000円以内で釣りが来る。貧乏旅行者も大歓喜。

駅前ではなくもう少し寂れた風情を味わいたいなら駅から北側に逸れた仲間通りの「北部旅館街」は外せませんな。のっけからこの古めかしいアーチが出迎えてくれる。

この北部旅館街はかつての行合町遊郭で、昭和33(1958)年の売防法施行後に転業旅館として一斉に衣替えし現在に至るという場所。かつては30軒程の妓楼があったというが現在は旅館数軒を残すのみ。どこかしら物悲しい空気が漂っている。

転業旅館の一つ「旅館すゞめ」。北部旅館街に並ぶ旅館の屋号はかつての妓楼時代からそのまま使われている所が多いが建物はおおむねリフォームないし建てなおされている。

「旅館あおしま」は無難なアパート風の建物。二階部分の看板が取れてしまっているが玄関脇の料金表は健在。すっかり商売っ気のない外観となっている。

「あおしま」の玄関口。足回りが戦後のカフェー建築らしい豆タイルで飾られている。

しかし建物自体がバリバリ現役の所もある。写真右手の「旅館かおり」は昭和8(1933)年築の「貸席香織」が前身。行合町遊郭の往時の風情を保っている。

「各室冷暖房ケーブルテレビ完備」と書かれた看板は割に真新しい。古ければケーブルテレビじゃなくてカラーテレビとか書いてるもんな。一泊2000円というリーズナブルなお宿だが、高齢の爺さんが一人で切り盛りしていて、いつ廃業するか分からない。泊まるなら早めがいい。

別府の街は一時期米軍が駐留していた。戦後、現在の別府公園の敷地が接収されキャンプ・チッカマウガとなり昭和31(1956)年に米軍が撤退するまでの間、行合町や浜脇などにあった遊郭も栄えていたそうだ。いわゆるパンパンガールも街のあちこちに居てたらしい。

かつての色街の大衆食堂の成れの果て、屋号は「梅乃家」。今では玄関口に公明党ポスターが貼られている。まさか米軍が別府に居たとは今からだと到底想像も及ばないが…掘り出したら温泉だけじゃなくて色んなもんが出てきそうな街ですね。本当に。

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