青森県の超メジャー観光地は”死者に逢える場所”…下北半島の霊場「恐山」 

青森県

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死者を思い賽の河原に石を積み風車を置く、下北半島の「まさかり」の中心にそびえる恐山で古くから続けられてきた光景。

そんな恐山の各所では観光客に混じって、祈りを捧げる参拝者の姿が各所に見られる。

時代の変遷とともに宗教観や死生観もてんてんばらばらな我々都市部に暮らす人間からすれば、東北地方で何百年も変わらず先祖代々続けられる恐山への厚い信仰は一見独特に映るかも知れない。しかしその事が日本の国土や文化が広大であることを感じさせる。

お地蔵様にも様々あり、こちらは「英霊地蔵尊」。戦争の時代に出征し戦死を遂げた人々を祀っているのだろうか、お地蔵様が軍服姿で、青い襷が掛けられているのである。

道端に積まれた石とお地蔵様の傍らには家内安全を祈願するプレートが置かれている。

小石が積み上げられている中には、子供向けの小さなピンクのポシェット。幼くして命を落とした幼女の形見の品だろうか。たまに三輪車なども置かれていたりすることもあって、生々しい。

青森県出身の作家・寺山修司が自身の作風に多大な影響を与えた場所が他ならぬ恐山と言われている。映画「田園に死す」は恐山を舞台にしていて、自らの少年時代をモチーフに独特の過激で奇天烈な表現で東北地方独特の土着文化や人生観を曝け出している。

もはやサブカルどころかアングラ的世界の範疇だが、これを観てから恐山を訪れると、最果ての地・下北半島の濃密な空気をより堪能出来る事請け合い。

特に水子供養御本尊がある池の周りにはとりわけ多くの風車が回っているのが見える。

田園に死す」にも間引きのシーンがあったが、昔の東北地方にあった「間引き」という悲しい風習の存在、下地としてそれらがあるからこそ恐山を始めとする地蔵信仰が現在も盛んなのだろう。

地獄巡りも終盤になってくると、この八角形の「賽の河原地蔵堂」が現れる。こちらも比較的最近建て直されたのだろうか、真新しい感じがする。

「ご自由にお参り下さい」と書かれているので中に入る。

地蔵堂というだけに正面にもお地蔵様が祀られているのだが、その傍らには故人の形見の品がぎっしりと置かれている。必ずしも大往生を迎え安楽的に死出の旅へ出た人だけではないということは、世代を問わない遺品の数々を見ると想像出来るはずだ。

賽の河原地蔵堂の近くに「血の池地獄」があるが、我々が訪れた時は水は澄み切っていて全く血の池ではなかった。「血の池」の正体は酸化鉄とのことだが、最近は酸化鉄の流れがどうもよくないらしい。

地獄巡りの先には、広大なカルデラ湖である宇曽利湖と周囲の外輪山が控えている。

地獄の先には極楽有りと目の前に開けるのは「極楽浜」と呼ばれる砂浜だった。火山ガスの成分が染みでてやや黄色味がかった宇曽利湖の水は、確かにこの世の風景ではない何かを思わせるかのようだ。

ただ、風がキツすぎて水面が波立ちまくっていたので、水面がよく見通せないのが残念。普段は驚く程の透明度を誇るそうだが…強酸性の宇曽利湖には殆ど魚が棲んでいないそうだが、ウグイという魚だけは独自の進化を遂げて生息しているという。

極楽浜の景色を眺めて、恐山の地獄極楽巡りは一通り終わった事になる。この後温泉に入って帰りたかったが、例によって時間の余裕もなかったので恐山を後にした。


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