キリスト看板の本拠地「聖書配布協力会」がある丸森町に行って教団施設と豪商の屋敷を見てきた (全2ページ)

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路上観察を長く続けている者の一人として、どうしても視界に入ってしまう田舎の街角によくある「キリスト看板」の存在が気になって、一体どんな連中がこれを貼り付けているのだと長年思っていた所、「聖書配布協力会」という団体が宮城県伊具郡丸森町という場所に本拠地を構えて全国を巡りながら貼って回っているという事を知り、どうせなら近くに寄った折にこの丸森町とやらに行ってみようと考えていた。

宮城県伊具郡丸森町

丸森町というのは、宮城県の中で最も南に位置する自治体で、仙台市の南40キロ、福島市の北東30キロの位置にある。阿武隈川中流部にあり、福島県境に大きくめり込んだ形となっている。阿武隈急行線丸森駅から市街地へは、阿武隈川を跨ぐ昭和4(1929)年建造の古いトラス橋「丸森橋」を渡る事になる。

宮城県伊具郡丸森町

鉄橋のサビ具合からして凄まじいものがある丸森橋だが、補強工事中真っ只中で片側交互通行になっていた。現在は東側に新しい丸森大橋が架かっていてそちらがメインになっている。仙台市内までは車で一時間。そして参考までに、福島第一原発からは直線距離で60キロ。

宮城県伊具郡丸森町

わざわざ東京から出てきて見に来るような機会も少ない場所だが、一応名物らしいのが阿武隈ライン舟下りだそうです。昔は阿武隈川の舟運で栄えたという事もあって、橋から1キロ南にある街の中心に行くとかつての豪商の屋敷がデーンとそびえていて、街の少ない観光名所の一つになっているのでそちらを見に行く。

宮城県伊具郡丸森町

丸森町の中心市街地にひときわ目に付く海鼠壁がアクセントのご立派な蔵屋敷。地元で七代もの間続いた豪商である歴代「齋藤理助」の屋敷、通称「齋理屋敷」というもので、現在は町が管理している。表通りに沿って経つ蔵は嘉永元(1848)年建造。丸森がかつてどのような町だったのか一発で分かる施設である。

宮城県伊具郡丸森町

鉄道も自動車も無かった江戸時代の舟運で繁盛したかつての豪商の家を見るだけでもそれまで土地勘すら無かった街について色んな事が知られる訳で、ここではしっかり町が管理して収蔵品の数々や豪商の暮らしぶりなどを展示してあるので見応え十分。施設内には蔵を改装した喫茶店もあり昼飯を食ったりお茶もできます。キリスト看板の故郷だという以外に何の事も知らずに来てすみませんでした。

宮城県伊具郡丸森町

入館料610円を窓口で払い中に入る。屋敷の入口付近には明治末期に当主の独断で建設したという丸森町産の白御影石で作られた石風呂というのがあり、明治時代の金持ちの趣味もなかなか面白いものだなと思わされる訳だが、何から何まで全てが石で出来ている徹底ぶり。

宮城県伊具郡丸森町

しかしその豪勢さとは裏腹にその場で湯を沸かせないので湯はその都度運ばなければならなかったり、総石造りのため冬はめちゃくちゃ寒くなるなど使い心地は散々なものだったという。明治時代でも平成でもいつの時代もバブリーな成金趣味の間抜けっぷりは変わらぬ。

宮城県伊具郡丸森町

我々が訪問した時には期間展示で雛祭りの飾り物が多数置かれていた。江戸時代から昭和の初めまで七代続いた豪商である歴代の齋藤理助は丸森町の歴史とも深い繋がりがあって当然で、ここの第10代町長の中にも七代目「齋藤理助」の名前が入っている。

宮城県伊具郡丸森町

歴代齋理は江戸時代の創業当時、呉服太物商や養蚕で財をなし、明治時代から昭和初期までは醤油や味噌の製造、金融業、縫製工場、発電所の建設までを手広く行っていた一大商社だった。屋敷のあちこちで齋理一族の様々なエピソードを知る事ができる。

ちなみに齋理家はこの七代目で没落してしまい、戦時中のゴタゴタで艶出し粉製造業や新規事業として興そうとしていた陶器工場の商売を潰されて、さらには戦後の農地改革で土地を失い、結局昭和25(1950)年に店を閉じて仙台に転居してしまった後、直接の家系が途絶えたという。

宮城県伊具郡丸森町

おお、「びた一文払わない」の「びた」ってこれの事か!というささやかなトリビアなんぞもあるにはあるのだが、最も我々が目を引いたものがこの後訪れた蔵の中にあった…

宮城県伊具郡丸森町

齋理屋敷の中には江戸時代から明治時代に建てられた蔵が多数あり、そのうちの一つである「住の蔵」に入ると、狭い箱階段を登って二階に上がると使用人(番頭)が住み込んでいた部屋になっている。3段ベッドみたいなスペースが壁一周を囲んでいるが、壁や柱のあちこちに使用人が気まぐれに書いたと思しき落書きがある。

宮城県伊具郡丸森町

使用人の落書きとは言っても、パッと見の達筆さとは裏腹にその多くは今どきで言うところの小学校高学年から中学生くらいの多感な年頃のもので、壁の落書きも展示物として遺してはいるものの、透明なアクリル板で壁の表面を被せてあちこち都合の悪そうな部分がこのように隠されているのが気になる。

宮城県伊具郡丸森町

しかしですね…アクリル板で隠された部分と壁との間の隙間を横から眺めるとですね…あー!見えてはいけないものが見えてますよ!

宮城県伊具郡丸森町

アクリル板で隠された部分にも、もはや隠すのも面倒なのか目に付く所にまでも、多感なお年頃の使用人達がふざけて書いたと思われるアレやナニの絵が…やっぱり中学生くらいの頃の連中というのはアレな妄想だけがマルマルモリモリ働くものである。丸森町だけに例の歌のフレーズが脳内を駆け巡ります。

宮城県伊具郡丸森町

この蔵の落書きは明治20~30年代のものであると案内看板には書かれていた。まあ、こういうものに国や世代の壁って本当に無いですよね…

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新日本DEEP案内およびDEEP案内シリーズ管理人兼編集長。2007年「大阪DEEP案内」開設、2008年「東京DEEP案内」開設、2009年「日本DEEP案内」開設、2010年「世界DEEP案内」開設、2013年「新日本DEEP案内」開設。
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