北九州市第二の都会だった「黒崎」の商店街を歩く (2)

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かつては小倉と肩を並べる副都心だった北九州市八幡西区の「黒崎」。この駅前に広がる商店街がやたら寂れ放題でヤバイという話を聞いて訪れた我々取材班。

次は駅前から遠ざかり放射状道路の南東端にあたる部分にまで伸びているアーケード街「熊手通り」の入口までやってきた。商店街の表に掲げられた大看板を一目見て黒崎の街は長崎街道の宿場町だったという事が分かる。



付近に設置された黒崎宿案内板。ちょうど商店街のアーケードが走っている辺りがかつての長崎街道らしい。

熊手通りのアーケードが南北を走る宿場通りを挟んで途切れ、その東側には藤田銀天街という別の商店街のアーケードが伸びている。相変わらず中華提灯が吊るされた商店街はやはり寂れっぷりが酷い。

シャッター通りでさして見るものもなさげな商店街だが重厚なレトロ建築も残っている。これでも一時期は「九州随一の売上を誇る銀天街」だった頃もあったらしい。高度経済成長期における工業都市の隆盛を知る世代は確実に少なくなっている。

昭和のセンス全開な藤田銀天街のロゴが入った商店看板。空き店舗だらけでどうにもならず全国で戦後二番目の昭和31(1956)年に初めて設置されたという年季入りのアーケード、これは昭和54(1979)年に一度改修されているが現在は大部分が撤去されている。

藤田銀天街のアーケードは現在熊手通り寄りのわずか30メートルの区間だけ残されている状況だ。申し訳程度に昔ながらのオバ服屋が店を開けていた。高齢化でいずれ商店主が居なくなるとそのうちこの区間のアーケードも消えてしまうのか。

一方の熊手通りの入口には熊さんがお出迎え。熊手通りだから熊という安直なセンスに笑えるが「ここはみんなのオアシスヨ」と書かれた看板に哀愁。修羅の国・北九州市では「いかのおすし」の方が効果的だと思いますけどね。

アーケードすら失われた藤田銀天街とは違い熊手通りの方はまだ商店街らしい風情が残っている。それでもやっぱりシャッター通りなんですが。どこが「オアシスヨ」やねん。

アーケード街は駅前から放射道路沿いに伸びるカムズ黒崎商店街まで続いている。そして中華街でもないのにここにも中華提灯がずらーり。もしかしたら長崎街道の終点である長崎の中華街をイメージしているのかも知れんが。

そして熊手通り沿いを見るとようやく生活の匂いを感じ取れる市場や惣菜屋が店を開けている光景が見られる。商店街は完全に死んではなかったようだ。

市場の入口が何箇所かあるので寄り道してみましょう。お買物は何でも揃う銀天市場。楽天市場ましてや円天市場ではありません。何故か九州はこの「銀天」という言葉がお好きである。大きめの街の市場や商店街の名称に必ず一つは存在している。

やったね銀天市場だと思って入ったら天井が銀色どころか両サイドがくすんだ灰色のシャッターで覆われておりました。はあああ…泣ける街だぜ黒崎よ…

しかしそれでも元気に営業している肉屋…いやホルモン屋があった。肉ではなく敢えてホルモンと書いている辺りがさすが北九州クオリティ。臓物料理は古今東西問わずソウルフードでございます「黒崎ホルモンセンター」。

さらに隣の路地に入るともう一軒ホルモン専門の肉屋とホルモン焼肉屋が並んでいた。これらがかつては目の前の洞海湾沿いの重工業地帯で働く肉体労働者のパワーの源となっていたのだ。

昭和30年代の福岡
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写真/香山 義憲/北島 寛/栗原 隆司/椎野 実/薗部 澄/平田 稔博
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新日本DEEP案内およびDEEP案内シリーズ管理人兼編集長。2007年「大阪DEEP案内」開設、2008年「東京DEEP案内」開設、2009年「日本DEEP案内」開設、2010年「世界DEEP案内」開設、2013年「新日本DEEP案内」開設。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。首都圏を中心に飛ぶような売り上げを記録し増刷決定。
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