基地の街・コザの激寂れアーケード街…沖縄市照屋「コザ銀天街」界隈を歩く 

沖縄市

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国道330号のコザ十字路に最も近い側の一画だけ、奇跡的に店舗が生き残っている場所があった。アーケードが取り払われた代わりに商店街の入口のアーチが新調されたため、そこだけが見た目に真新しい。

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この路地から銀天街に足を踏み入れると、半分休業状態ながらも比較的「生きている」感じがする。薬局に化粧品屋に肉屋と様々な業種の店の看板に加えて日除けのテント屋根を軒下から突き出している。

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そして現役営業中の製菓店と惣菜屋があった。やっと銀天街に来て商店街らしい光景に出会う事が出来た瞬間だ。

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果物などに混じっておにぎりやサンドイッチ、それにソーミンチャンプルーなどの惣菜が陳列されていた。

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ずらりと三軒並んだ店は全てが惣菜屋だった。何度も言うが共働き世帯の多い沖縄人はあまり自炊をせずこういう惣菜屋でおかずを買って帰る事がよくある。これだけ商店街が寂れまくっても惣菜屋だけが生き残っているのだから、まだまだ需要が高いのだろう。

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少し小腹も減ったのでその中の三幸という惣菜屋で天ぷらを買って食べた。揚げ物多めのうちなー弁当はもちろん、結納の席に出される縁起物、サータアンダギー、カタハランブー、松風(まちかじ)の琉球菓子三点セットも置かれている。

特にカタハランブーは小麦粉を揚げただけのお菓子なのだが製法が難しいらしく、コザではここでしか買えない。だから「珍しいよ!」だなんて一押ししてるのだ。

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他にも不動産屋なんかもあったが、食い物以外の業種はすべからくダメみたいで投げやり気味に看板を縦置きして商売上がったりと意思表示しているかのように見えた。

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銀天街はこの惣菜屋通りを残して殆どが抜け殻同然の姿を晒している。郊外型ショッピングセンターに人が流れるのが時代の流れなら、それに逆らうような事もせずに時の過ぎ行くまま放置プレイを決め込んでいるようだ。

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この銀天街も戦後米軍が駐留し始めた時には「照屋黒人街」と呼ばれ、米兵の中でも特に黒人が集まる歓楽街の一角を成していた。

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1950年代からベトナム戦争のあった1970年代まで、この街には力を持て余した黒人達が夜な夜な徘徊し、そんな彼らを相手にするバーや売春宿がぎっしり軒を連ねていた。今では考えられない風景が広がっていたのだ。

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今では地元のDQN軍団がこんなくだらない落書きを残していくだけ。このマークだけは沖縄でも北海道でもどこでも共通してるよなぁ。ある意味感心する。

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商店街の一角に奇妙な空間がある。これも商店跡なのだろうか…それは分からないが中に何かモニュメントっぽいものが置かれている。

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中を見てみるとこんな看板が…「子宝・安産祈願 秘蔵空地 誕生の庭」とある。はて…と思ったがそこにはよく分からない文章とともに銀天街のアーケードが2009年に取り払われたといった事が書かれている。さらにその上の変なマークには「カタハランブーサマ」とある。

カタハランブーとはさっきの惣菜屋で見た小麦粉を揚げた縁起物の菓子の事だ。片側だけが膨らんでいるその姿が妊婦に通ずるとして、子宝安産祈願の縁起物になるのだ。

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どうやらここにはカタハランブーを象ったオブジェが子宝祈願の目的で壁に掛けられていたらしい。それを何者かが持ち去ってしまい、跡だけが残っていた訳だ。(→詳細

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