山梨県旧北巨摩郡高根町にある「清里」という土地、現在は市町村合併で北杜市の一部になっているが、八ヶ岳の南側一帯に広がる標高1200メートル超の高原地帯である。夏には避暑地として軽井沢と並んで首都圏からの観光客がやってくる場所であるという認識しか無かったのだが…
そんな場所にわざわざ糞寒い冬の最中にやってきた当取材班。昭和50~60年代に「高原の原宿」ともてはやされ、タレントショップやファンシーショップが乱立していた清里の駅前が廃墟化してヤベエという噂を耳にしてのことだが、まずはこの土地の歴史を語るには外せないという「清泉寮」へとお邪魔する。ここには「清里開拓の父」と呼ばれるアメリカ人牧師、ポール・ラッシュ氏の胸像があり、その背後には創業70年を超える宿泊施設があり、周囲には農場、諸々の研修設備が揃っている。
ポール・ラッシュ氏の主導によるKEEP計画(清里教育実験計画)によって戦前の昭和13(1938)年にこの土地に清泉寮が建てられ、それから東京の水がめとなる「小河内ダム」の建設によって集落がダムの底に沈む事になった旧小河内村住民が続々と移住入植し、清里開拓の基礎が築かれてきた。戦後の高度経済成長期に観光開発が進み、現在も東京から中央道ですぐに来られる利便性の良さもあって、清泉寮や萌木の村といった施設には年中観光客の姿がある。
ともかく清里に来る観光客にとっては知らない者は居ないらしい、濃厚な味わいの清泉寮のソフトクリームをベロベロと舐めながら土地の歴史に思いを馳せる。首都圏の小学校の生徒は林間学校でよくこの辺に来るらしいですが、そんな方々にとっての想い出の味なのでしょうか。昭和50年代のブーム到来時には清泉寮のソフトクリームは一種のステータスシンボルだったらしいですからね。
で、場所は変わってJR小海線の清里駅前へ。「高原の原宿」と呼ばれていたというのは、この駅前一帯のおみやげ店が立ち並ぶ商店街の事を指している。壁も天井も白くて分厚いコンクリートに覆われている独特な形状の駅舎は昭和51(1976)年築で、この場所がかつて観光客でごった返していた時代のものと変わらない。
日本の鉄道で最も標高の高い場所を走るというJR小海線、隣の野辺山駅に次いで、日本で2番目に標高が高い駅となっている清里駅、標高1274メートルの駅ホームには小淵沢駅行きの上りが11本、小海・小諸方面の下りが10本行き来するのみ。
時期が時期だけに仕方が無いのだろうが、清里駅前の一帯を見回しても時折車が通りがかるくらいで、観光客らしき人の姿は全く見かけられない。夏場は避暑地としてそれなりに来客があるが、冬場に期待できそうなスキー客は、八ヶ岳南側に位置し、標高の割には積雪が少ないという理由で敬遠するので、どうしても冬場は寂しくなる。しかし標高はかなり高いので、寒いっちゃ寒いのです。
そんな清里駅前の商店街が苦肉の策だろうか、朝10時時点の最低気温に応じて商店の特定商品が割引になる謎のサービス「寒いほどお得フェア」を実施中。朝10時で気温が0度以下だと、商店街の何かの商品が30%割引になるらしいっすよ…詳しくは清里観光案内所「あおぞら」まで、だそうです。
さて、早速駅前のおみやげ店街をうろうろしながら見ていこうと思うんですが、のっけから廃業しちゃっている店が一等地にあったりするので、オワコン臭半端ありません。複数の飲食店が1つの建物に同居している格好となっているが、ただ一軒すら開いておらず玄関口はベニヤ板で塞がれている。別に冬季休業中という訳ではありません。完全休業です。
かつては手作りジェラートを販売していたらしい「紅や本舗清里」の店舗。見事に「入居者募集」のプレートが掛かっていて、まさしく廃業している事を示している。数年前までは営業していたみたいなんですけどね、ここ…
それはいいのだが、目の前に牛さんの人形が前につんのめってぶっ倒れている姿がシュール過ぎて、「もうだめぽ」と言わんばかりであります。泣ける…
飲食店系はちらほら生き残ってはいるものの、薬局やら土産物店といった食い物系以外の店舗は軒並み潰れてしまっている。それが駅前一等地であったとしてもだ。清里ブームとやらがあった昭和の時代はまだ鉄道での移動が多かったのだろうが、マイカーが当たり前の時代に駅前が廃れていくのは何も清里に限った話じゃないですがね…
そしておおよそ四半世紀前に遡るポップでファンシーな時代遅れなセンスを感じさせるオブジェがそのまんま廃墟化していたりするのを見ると、中年世代にとっては胸を締め付けられる思いがする事請け合い。
駅前ロータリーからまっすぐ連なる大通り沿いにも廃業した土産物屋やパン屋などが建ち並び、痛々しい姿を晒している。おおよそ建物のセンスが20年程前まででストップしているのが特徴的だ。この道沿いに坂を下った先にある「萌木の村」あたりはリア充家族連れ観光客で非常に賑わっていて結構な状況でしたがね。別に清里自体が寂れているという話ではない。「駅前が寂れている」というのが現状だ。
色々と店が潰れまくっていてゲンナリしそうになるが、一方で清里では割と老舗の「グラタン専門店アミ」は現役バリバリ営業中であり、清里高原産の牛乳を使ったグラタンやドリアが有名らしい。ちょうど昼飯を食った直後で間が悪かった…次の機会だな。
時代の変化に耐えられずに廃業した古びた民宿やペンションもちらほら。ここなんかは廃屋同然で放置されているらしく屋根の付近が一部崩落するなどして荒れ始めている。目抜き通りから見える場所でもこの状態。
またしても古ぼけたオブジェのある広場が。コンクリートの階段があちこち欠けて塗装が剥げていたり、周囲にある白樺の木を真似たようなデザインのオブジェ自体も錆びつき具合が目立つ。恐らく全盛期には観光客がこぞってジェラートでも頬張りながら階段に腰を掛けて休憩していたりしてたんでしょうかね。
そんな広場の前で唯一店を開けていたのは「占い屋さん」…昔のイカニモ観光では「占い」はお決まりのコースだったんでしょうか世代的によく分かりませんが、占いマニアな方々にとっては「よく当たる」と評判の所だそうです。しかしここまで来て「寂れたリゾート」繋がりで軽くデジャヴを覚えたのが、鹿児島県の与論島。無駄に廃れたオブジェや置き物が多いあたり、特に印象がかぶる。