リトル奄美・琉球「鹿児島市三和町」界隈を歩く (2)

奄美大島や沖縄出身者が多く暮らしているという鹿児島市三和町にやってきた。そこは現在も昭和の下町がそのまま放置されたような寂れた風情が残る一画であった。

1970年代まで三和町に隣接する鴨池新町付近に旧鹿児島空港があった。その空港跡地は現在「鴨池ニュータウン」となっていて大規模な高層団地が乱立する都会じみた空間に変わっていて三和町の古ぼけた街並みとは正反対の佇まいだ。



鴨池の旧鹿児島空港は戦前から飛行場が整備され戦時中は海軍基地にもなっていた。これはあくまで想像の域だが、その歴史を鑑みるとこの場所にも伊丹の中村や京都のウトロみたいな飛行場建設の為に集められた労働者の飯場が存在したかも知れないと勘繰る。

しかし戦後に三和町や隣の真砂本町などの土地が引揚者向けに住宅整備されたようで、故郷に帰る事もなくそのまま定住した奄美・沖縄出身者が今でもこの場所で生活しているという形になっている。

三和町には商店街と呼べる程ではないがある程度食料品店などが集まる一画があるにはある。しかしお世辞にも活気があるとは言えない。航空写真を見て分かる通り細民的な小規模人家が密集する地区で人口密度はかなり高そうだが通行人も少ないし、実情はかなり高齢化しまくっているのだろう。

辛うじて八百屋らしきものが一軒だけぽつーんと開いている。全然商売っ気もなさそうで店のテント屋根までだらーんとだらしなく垂れ下がっております。

関西のリトル奄美・沖縄タウンにも見られるように妙に肉屋率が高いのも三和町ならではの特徴。まあどの店もシャッター閉めたままなんですが…

そして奄美特産品店もかなり目立つが現役の店が全く見当たらない。やはり時代に取り残されて寂れてしまった土地なのか…

目ぼしい飲食店も見当たらない街だがちょいちょい居酒屋は店を開けている箇所がある。焼酎王国鹿児島は元から酒飲みの多い土地ですが下町ほどアルコール消費率が高くなるはずなのに酒飲みの溜まり場が無い訳がないという話。

戦後の時代から全く変わっていないと思われる板張りの古い平屋建て民家も残る。元々何かの店舗だったようだが、店の名残りはテント看板の錆びついた骨組みだけしか残っていない。

噴火する桜島からの火山灰がどっさり鹿児島市街地に降り注ぐ夏の時期にやってきたもので三和町界隈の昭和な街並みも例に漏れず灰化粧に包まれるという風景に。絶えず火山ガス臭いです。

そしてこちらも例に漏れず下町ならではの公明党ポスターだらけの風景。支持層は日本列島北から南まで全く変わり映えないなあ。

やっぱり公明党がバラック建築に最も似合う政党ポスター・ナンバーワンですね。2位は僅差で共産党。幸福実現党はもう少し頑張りましょう。

どうにも街中あちこち山口那津男代表だらけになっていてそうかそうかと頷きたくなるのだがこちらのお宅、火山灰まみれなのに洗濯物干していて大丈夫なんでしょうか。タオルばかりだしまあ別に良さそうなんですが。

灰置き場には「克灰袋」に詰められた沢山の火山灰がうず高く積まれておりました。雪国の雪下ろしじゃないが活火山に隣り合う鹿児島の暮らしも決して楽ではなさそうです。

三和町の区画を外れた東側の鴨池新町に連なる団地群。市営鴨池新町住宅、公団鴨池ハイムなどなどかなりの数に及ぶがやっぱりこっち側にも奄美や沖縄の人が多いんでしょうかね。

せっかくなので三和町に隣合う旧鹿児島空港跡地に作られた鴨池新町の団地群も見る事にしましょうね。団地の地図まで豆タイルで作っちゃったりする辺りが昭和テイストで素晴らしい「鹿児島県住宅供給公社鴨池ハイム」。

鴨池ハイムも昭和後期に作られた大規模ニュータウン団地らしい特徴のある場所で、無駄に広い団地内でたむろっている住民の爺さん婆さん率の高さを見ても三和町と大体似たり寄ったりである。

三和町と鴨池新町住民の貴重な日常の買い物拠点であるスーパーマーケット・タイヨー鴨池店は降灰対策商品フェアー開催中でした。「しかし、毎日よく降ります。うんざりですネ」と書かれたポップにニヤニヤしてしまいそう。

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