特攻隊が飛び立った街、鹿児島県鹿屋市の遊郭跡を探す

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かつて神風特別攻撃隊の出撃基地が存在し、今もオツなスナック(シャッター)街を擁する鹿児島県鹿屋市。DEEP案内編集部による記事『神風特攻隊がいた基地の街「鹿屋」の新天街通りと激寂れな中心市街地を歩く』(以下、本記事)では、遊郭の存在を色濃く感じさせる街並みながらも、遊郭の有無やその位置についてはイマイチ判然としなかった。

本記事の受け皿として、遊郭部(@yuukakubu)が改めて鹿屋の遊郭調査についてレポしてみたい。

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軍都に色街は必然だった

本記事でもレポされていたスナック街。その有様は本記事の通りだが、その密集ぶりたるやいやはや凄い…。そのオツな景色は本記事でご確認いただきたい。

朝日町のY字路から肝属川沿いにスナック街が伸びている様子が分かる

朝日町のY字路から肝属川沿いにスナック街が伸びている様子が分かる

軍都と色街の関係は言わずもがな。無い方がおかしい。この両者の結びつきを舞台としてドラマも制作されている。『蛍の宿』(1997年、TBS)である。特攻隊出撃基地のある九州の架空の町とそこで営まれる妓楼を舞台にドラマが展開する。

以下、『蛍の宿』からの引用。

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風之浦と名付けられた架空の町

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向田邦子の脚本。セットだが妓楼の特徴はうまく再現されている

こちらもセットで再現された妓楼の玄関内。すぐ2階へ続く階段がある。手前の椅子は順番待ちをするための再現か?

こちらもセットで再現された妓楼の玄関内。すぐ2階へ続く階段がある。手前の椅子は順番待ちをするための再現か?

ドラマは創作に違いないのだが、軍都、ことに生命と引き換えに目的を達成しようとする特攻隊の出撃基地のあった街ならば当然、遊郭が存在したであろうからこその舞台設定とも言える。当ドラマはDVD化されており、当時の世相など手っ取り早く掴めるので、ヌルっとアフィリンク付きでオススメしたい。

というわけで、特攻隊出撃基地のあった鹿屋であれば、色街があったのは間違いないのだ。四の五の言わずにとっとと調べてみよう。

ネット情報だけでは十分とは言えない…

本記事でも触れているが、ネット上にはいくつかの遊郭に関する情報がアップされている。おさらいしてみよう。

■『未敷庵の随筆』より引用(http://mibuan.blog.ocn.ne.jp/zuihitsu/2004/06/post_30.html)
私は小学5年から中学3年まで鹿屋で暮らした。同じ町内に、青木町という10数軒の遊廓があった。肝属川のほとりに一角があり、隣接して遊女のための診療所、小さな祠と鳥居のお稲荷さん、そして私たち子供が遊べるほどの公園があった。

■『海とひこうき雲』より引用(http://ameblo.jp/syounann-bunntaisi/entry-11524696762.html)
新天街通り
飲食店や飲み屋が集まる歓楽街。てか特攻隊員たちが通ったという食堂や飲み屋が集まり色町が在ったという青木町は何処だったのか…

「青木町」というキーワードも含まれており、重要なヒントには違いないのだが、現在のGoogle Mapで「鹿屋市 青木町」を検索しても何も引っ掛からない。同時に、仮に青木町なる場所が存在したとしても、それが公許の遊郭なのか、はたまた非公認の色街なのかは、この情報だけは知りようがない。

本記事でも登場したお稲荷様や「新天街」アーチなど色街要素満載なのだが断定はできない。遊郭部はネットに上げられていない遊郭調査ほどワクワクテカテカする質なのでがっつり調べてみた。

青木町はどこだ?

まずは「青木町」だ。もしこの地名がガセなら調査が振り出しに戻る。「青木町」の有無を確定させることからスタートする。

答えは市史の中に見つかった。

■鹿屋市史編集委員会:『鹿屋市史 上巻』(1967年)小字地名考 P.570
共栄町
ヨコレ松、中牟田、池崎ノ上、窪田、立神、古城、聖塚、青木、枦山、前田、畑関、八ッ尾。

どうやら青木町は共栄町の小字として存在していたようだ。現在のGoogle Mapで「青木」を検索しても見つからない状態からすると、この小字名はどこかの時点で消滅したらしい。小字が消滅する運命にあることはwikiに詳しい。

青木町を調べる過程で、本丸とも言うべき遊郭の情報もサルベージできた。

■鹿屋町教育会:『鹿屋郷土史』(1940年) P.211
特種市街青木町※
町信用組合倉庫の南方の町有地を売却した、後に直に遊廓が出来(、)昭和12年2月頃から営業を創(はじ)めた、地名を採って地名をとって青木町と称する。凡10軒

※筆者注:特種=特殊か。

■鹿児島県警察本部:『鹿児島県警察史』(1972年) P.701
貸席営業の許可については、従来貸座敷、特殊料理屋、特殊飲食店であったものに限り、かつ一定地域を指定して転換(許可)することとした。そのため地域としては、鹿児島市の沖の村、鹿屋市の青木町、川内市の竹馬場は指定地域となり、鹿児島市の武町・南林寺・新世界、川内市の堀田町等は準指定地域として取扱われ、その他の地域には原則として認めない方針であった。

■鹿屋市史編さん委員会:『鹿屋市史 下巻』(1995年) P.656
青木町
青木町は昭和12年,町有地を購入して遊郭ができたが、戦後の売春禁止法の成立により紅灯は消えて、一般住宅となっていった。

■南日本新聞社鹿屋支所報道部:『鹿屋市戦後十年の歩み』(1955年)
混乱篇(2)
鹿屋市では青木町の一かくが例外でアメリカ軍に解放されていました

(※筆者注:戦後、飲食店の臨時休業命令が出たため街は火の消えたようになったが、進駐軍に解放された青木町は例外だった)

■鹿児島地名研究会:『地名研究会報 第24号』 (1988年) P.4
「青木。青木町というのは戦前は遊郭街があった所ですが,今は青木町と云っても知らない人が多いのですけれども。」

以上、集めた文献的裏付けからすると以下が断定できる。

・鹿屋に公許の遊郭が存在した
・遊郭は青木町に存在した
・共栄町に小字、青木が存在した
・遊郭が存在した青木町は信用組合倉庫の南方である
・遊郭は昭和12年2月から営業を開始した
・妓楼の数は約10軒
・戦後は進駐軍の性的慰安施設(RAA)に解放された
・戦後は赤線に移行、売防法まで続いた

非公認の色街ではなく、歴とした遊郭であったことや、戦後はRAAに解放され、赤線に移行したこと。遊郭の営業開始は昭和12年2月。妓楼数は10軒であったことなど。鹿屋青木町遊郭のアウトラインは一気に判明した。

ただ一つ、いまだ判然としないことがある。その肝心の遊郭はどこにあったのか?

共栄町に小字、青木があったことは確実だが、これが遊郭のあったとされる青木町とイコールは限らない。仮に共栄町の青木こそ遊郭の青木町だとしても、番地レベルでの位置は不明だ。

一旦、情報を整理してみる

状況を整理するためにひとまず集めた情報と、その他参考になりそうな情報を地図上にプロットしてみた。

共栄町(赤色)と、新天街スナック(紫色)のそれぞれを着色した。参考までに1982年(昭和62年)に廃線になった大隅線鹿屋駅の位置と、移転前の鹿屋市役所(1991年に旧鹿屋駅位置へ移転)の位置も描き加えた。

大隅線は鹿屋駅でヘアピンカーブを描き志布志と垂水を結んでいた

大隅線は鹿屋駅でヘアピンカーブを描き志布志と垂水を結んでいた

新天街スナック街はシロだった…

まず分かることは「新天街スナック街は共栄町ではない」ことだ。そして新天街スナック街が遊郭だった可能性は次の文献から排除される。

■角川日本地名大辞典編纂委員会:『角川日本地名大辞典46(鹿児島県)』(1983年、角川書店)
本町(※筆者注:スナック街のある町名)
野町、瀬戸町の小字からなる。
通称中央市場は第2次世界大戦後できた飲食店街で朝日町へと続く

戦後成立した飲食店街とのことだから、遊郭跡である可能性は一気に低くなった。現在の見かけ上は完全に色街の雰囲気濃厚なのだが、いざ調査すると全くの無関係だった。こういった番狂わせが遊郭調査の難しい点でもあり、醍醐味でもあると私は感じているだが…。

遊郭とは関連が無くなったものの、非常に興味深いことに、新天街スナック街は旧鹿屋駅と旧市役所との間に存在している。おのずと人の流れが見えてくるようだ。

情報の断片から推論を紡ぐ

さて、新天街スナック街が遊郭跡であった可能性が0に近づいてしまった以上、小字「青木」を持つ共栄町に軸足を移して調査を深める必要がある。

プロットした地図を見て分かる通り、共栄町はかなりの広さがある。この広さの中から遊郭跡を見つけ出すのは容易ではないが、断定に至った「遊郭が存在した青木町は信用組合倉庫の南方である」がヒントになりそうだ。共栄町に信用組合倉庫の存在を確認できれば、その南方に位置を絞り込むことができるからだ。

ちなみに信用組合は1914年(大正3年)の桜島大噴火による農作物の甚大な被害を受け、時の鹿屋町長、伊地知半兵衛氏が農家の復旧を目的として組合組織を設立した。農作物の共同販売のため石造倉庫も建造している。(『鹿屋市史 上巻』を参照)。「信用組合倉庫」とはこの農作物を保管するための倉庫を指すものとみて間違いないだろう。

しかし残念ながらGoogle Mapを探しても信用組合倉庫は共栄町はおろか、他の町にも存在しない。

そこで過去の住宅地図から手がかりを探すことにした。

スナック新宿もちょっと気になるよね…

スナック新宿もちょっと気になるよね…

幸いなことに「信用組合」の文字が存在した。ただし、共栄町ではなく、北側に隣接する向江町…。さらにややこしいことに、文献では「信用組合倉庫」だが、地図上では「信用組合」とある。先に述べた通り、信用組合は農家救済を目的として設立され、その倉庫は農作物を保管する目的で建造された。だとするならば、農作物を市街のど真ん中に置く可能性はかなり低い。市場や、出荷のため駅近くに配置するのがセオリーだ。また、信用組合(倉庫)がその設立以来、一度も移転していないとも言い切れない。

もう二進も三進も行かない状態だが、そもそも情報不足。一旦この信用組合が文献で指すところの信用組合倉庫であり、遊郭があった当時から移転していないとの仮説で話を進めるしかない。押して駄目ならさらに押せって昔の人が言ってた。

嫌疑の地点は3つ

先ほどの地図に信用組合の位置を重ねてプロットし、「信用組合(倉庫)の南方である」、「大隅川沿い」という2つの前提から、可能性のある地点を3つに絞った。地点A~Cだ。

疑いのある地点は3つ…

疑いのある地点は3つ…

■地点A
信用組合の位置から南方であることを素直に反映させた地点。ただし小字「青木」の存在した共栄町からは外れてしまう。共栄町の範囲が変わった可能性、そもそも共栄町の青木とは別物である可能性を考慮すると、可能性0とは言い切れない。

■地点B
共栄町の範囲とも重なり合う。もっとも条件を満たしているが、信用組合から離れてしまうことが懸念点。現時点では最有力候補。地点Bの南方は駅に至近であるため、候補範囲としては除外。

■地点C
共栄町の範囲とも重なり合う。信用組合からは大きく離れるため一見可能性は低い。ただし地図をよく見ると信号機名「青果市場」がある。現在の青果市場は移転しているが、かつてはこの信号機の南東側に青果市場があった。先に述べたように信用組合の「倉庫」は農作物の保管庫であるため、事務所機能と離れていてもおかしくなく、むしろ青果市場の近在にある方が妥当にさえ思える。また、大隅川とその支流に挟まれた三角地帯であり、悪所の雰囲気もある。

あと一歩なのだが、どうしても点を線で結べそうにない。資料で外堀を埋めることは不可能であると判断せざるを得ないようだ。考え方を変えて、調査方法を変えてみよう。引いて駄目なら轢いてみろって昔の人が言ってた。文献探しではなく聴き込み調査だ。当地の古老に聞けば一発で判明する気もするのだが、鹿児島県鹿屋市は東京から遥か遠く、おいそれと出掛けるわけには行かない。

鹿屋市教育員会に聞いてみた

問い合わせの最有力候補は教育委員会だ。教育委員会の役割の一つとして「文化財保護」がある。各地に設置された史跡の案内版などをよく眺めると各教育委員会が設置したものであることもしばしば。また遊郭の写真といった歴史的資料を教育委員会が保存しているパターンも多い。(全国各地の教育委員会が資料データベースを作成し公開しない理由が全く分からない…)。何かしら遊郭について情報を持っているかもしれず、早速、鹿屋市教育委員会へ電話で問い合わせてみることにした。

「フリーダイヤルやずややずや。じーこじーこ…(ダイヤルを回す音)」

幸い、やすやではなく教育委員会に繋がった。最近の電話はよくできている。貰ったヒントを下記にまとめてみよう。

・遊郭があったこと自体は承知している
・昔を良く知る人に聞いてみたところ、向江町20〜21番地だったらしい。(「昔をよく知る人」とは誰のことかは不明)

かなり具体的な住所を貰うことができた。

向江町20~21番地は先に挙げた地点Aと重なっているではないか! 早速、向江町20~21番地の地図を眺めてみよう。

交番が近いのも何気にポイント高い…

交番が近いのも何気にポイント高い…

見たところ、他のブロックよりも細かく街路が穿たれており、少しだけ廓っぽさもある。また一部、暗渠になっている川に挟まれていて悪所感も漂いう。スナックがあるのもポイントが高い。もうコレでビンゴ!と言ってしまいたいのだが、教育委員会の方も「らしい」を強調していた。正直それほど自信はないとのこと。(ちなみに信用組合倉庫の位置も聞いてみたが不明とのこと)。

そもそも向江町が、小字青木を含む共栄町ではないことと、教育委員会から全力で「らしい」を強調されたので、断定を避けて他の地点も見てみよう。

地点Bと地点Cはどうなっているのか?

地点Bの中でも怪しそうな地点。住所は共栄町10番地

理由は不明だが各地の遊郭跡には酒造が近在することが多い。

理由は不明だが各地の遊郭跡には酒造が近在することが多い。

街路が他よりも細かく穿たれている。魚芳旅館や久保酒造など遊郭跡らしさが感じられる。また「魚芳」という屋号は旅館というよりも少し料亭の響きもあるのだが各位の印象としては如何だろう…?
続いて地点Cの怪しそうな場所。住所は共栄町21番地の一部。

共栄町21

決め手がない…

ここも他と比べて街路が細かく穿たれており、また肝属川とその支流に挟まれた悪所。とはいえ、やはり決め手に欠けるのは他の地点と同様だ。

手詰まり…

完全に手詰まりとなってしまったのだが、ここで地点Bに存在した旅館を思い出した。妓楼が旅館に転業している可能性もさることながら、仮に関連が無くとも、旅館業を営んでいれば土地の変遷についても恐らく詳しいはず…! 街のあれこれを何かしらご存じである可能性も高い! よしきた電話だ、やずややずや!

「じーこじーこ…(ダイヤルを回す音)」

幸い、やずやではなく魚芳旅館さんへ電話が繋がった。まったく最近の電話はよくできている。

聴き取りできたことは以下。

・魚芳旅館さんは既に旅館を廃業
この共栄町10番地が遊郭の街区である(10番地以外は含まれないことも確認済)
魚芳旅館はかつて妓楼経営していた
・嫁に来たときには既に廃業していた
・母の代まで妓楼を経営していたようだ
・昭和30年くらいまでは当時の建物が残っていた記憶がある
お稲荷様もあった。今の魚芳旅館の敷地の中にあった。その後、崩してご神体は本社へ戻した
・検黴院(診察所)があったかどうかは分からない

どうにかこうにか遊郭跡の特定に至ったわけだが、こんなことなら資料探しなどに時間を割かず、手当たり次第に街の旅館に電話すれば良かったと思わないでもない…。(とはいえ、さすがに迷惑になり得るのでお電話は最終手段)。こちらの唐突な電話にも関わらず、旅館の元女将さんが丁寧にお答え下さった(この場を借りてお礼申し上げます)。

現在の風景をストリートビューで眺めても味気ない住宅街になっており、もう少し当時の状況が知りたいと思うわけだが…。

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左手の建物が魚芳旅館さん(Googleストリートビューから引用)

「信用組合」を探すときにも用いた1983年の住宅地図を改めて眺めてみよう。鹿児島県県立図書館、鹿屋市立図書館、国会図書館が所蔵する鹿屋の住宅地図のうち、最も古いものがこの1983年発行の地図になる。売春防止法施行(1958年)からおよそ25年経過しているものの、無い物ねだりをしても仕方がない。

大衆食堂ひよこも気になるよね…

大衆食堂ひよこも気になるよね…

魚芳旅館が現在と異なる地点にある。現在の魚芳旅館さんは後年に建て増した別館になるようだ。そして現在の地図には存在しない「白水荘旅館」との表記もある。この地図を元に魚芳旅館さんに伺ってみたところ、白水荘旅館も元妓楼だったそうだ。ちなみに「会席活造り義経」は元妓楼ではないそう。(義経は現在、向江町に移転している(料亭義経の食べログサイトへ)。大衆食堂ひよこなんてのもある。ああ…当時を見たかった…。

結論

さて、これにて鹿屋遠隔地調査もおしまい。以下が結論。

・町有地を売却し遊郭を設置
・位置は共栄町10番地のブロック
・昭和12年2月頃から営業開始、当時の妓楼約10軒
・小字の青木からとって青木町と称された
・戦後はRAAに解放。その後、赤線に移行し売防法をもって消滅
・判明している限り、魚芳旅館と白水荘旅館は元妓楼
・お稲荷さんは魚芳旅館の敷地内にあった

教育委員会から頂いた情報は結果的にはガセだったのだが、どんな情報でも不完全なものとして「必ず裏を取る&補完する」。これ大事。というより楽しいしね、鵜呑みにせずに自分で調べたほうが。

以上、遊郭部がお送りしました。

※この記事は遊郭部:『鹿児島県鹿屋 特攻隊が飛び立った街の遊郭跡を探す』を再編集したものです。

2014/9/20追記

青木町に詳しい方からコメントを戴き、本来の青木町の位置についてご教示いただきました。
拙記事をご覧になり、本来の位置についての記事をお書きくださいました。
http://blogs.yahoo.co.jp/who_japan/39393236.html

お父様が海軍飛行予科練習生出身で、ご自身も鹿屋にお住まいになり、青木町を含む地域を新聞配達されていたとのことです。

鹿屋遊郭に関連する文献資料・映像資料のご紹介

本文中紹介したドラマ『蛍の宿』。“蛍”とは飛び立っていく若い特攻隊員のこと。そして“宿”とはもちろん妓楼のことだ。

鹿屋を通過する大隅線は1987年(昭和62)に廃線となった。鹿屋を含む98.3キロの映像を収録。

鹿児島県の遊郭を取り扱った書籍。僅かだが鹿屋の情報も掲載されている。絶版のため中古で入手するしかない。鹿児島県にスポットを当てた珍書&貴重書。

The following two tabs change content below.
遊郭・赤線研究家。これまで訪ねた色街はおよそ250箇所。土日はだいたい歩いてる。遊郭情報サイト『遊郭部』( www.yuukakubu.com )、Twiiter( @yuukakubu )、Facebookページ( www.facebook.com/yuukakuakasenbu )
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