【もふもふウサギさん】広島県竹原市・うさぎと毒ガスと戦跡の島「大久野島」上陸記 (全2ページ)

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複雑な海岸線と数多の離島を抱える瀬戸内海。その地形上の理由で明治時代から様々な軍事施設が造られ、その一部は戦火に呑まれたり、秘密裏にその存在を消されていったりもした。そんな中でインパクトが大きいのが「毒ガス製造工場」があった事で知られる広島県の大久野島である。今では毒ガスよりも野生ウサギが多数生息する「ウサギ島」として有名になっている。

竹原市 大久野島

大久野島の存在は小中学生の時分に歴史の教科書などで知る機会があっただろう。現在も関西方面を中心に平和教育とやらも兼ねて義務教育の学生が校外学習にやってくるお土地柄。広島県竹原市の忠海港から出ている大久野島経由、愛媛県大三島の盛港行きフェリーに乗って行く事が出来る。

竹原市 大久野島

フェリーは忠海港を出て15分もしないうちに大久野島の桟橋に到着する。島では2つある桟橋のどちらかに停まるので、帰る予定の時間にフェリーが停泊する桟橋の番号を把握しておかないと面倒な事になるので注意。自家用車も積んで行けるが、島内は走れないので桟橋横のスペースに停めておく事になる。徒歩で回れる範囲の小さな島なので車の必要性は無く、忠海港の駐車場に置いて行った方が賢明だ。

竹原市 大久野島

で、桟橋に降り立つやいなや、そこら中から待ってました人間様とばかりに飛び出してくるのは大久野島の住民である野生ウサギの集団。ウエルカムラビットというやつでしょうか。容赦なくぴょんぴょんでもふもふ、萌え萌えな展開が待ち受けている。この島、ウサギ好きには萌え死にしてしまう程の聖地だという。

竹原市 大久野島

大久野島にいるウサギは戦時中に毒ガス実験で使われたウサギの子孫だとかいう説もあったのだが、どうも話が違うようで、実際戦時中に実験材料にウサギを使っていたのは確かだそうだが、戦後に全て処分されていて、今この島にいるものは1970年代に対岸の忠海町にある小学校で飼育していたウサギ8頭が島に寄付されて、それが野生化して繁殖したものだという。

竹原市 大久野島

もふもふウサギさんとふれあい体験出来る事が魅力的なのか、島に訪れる観光客の中にはフツーに男性1人だけで来てる人も居た。ウサギを抜きにすれば戦跡巡りがどうしてもメインになるので、客層の偏りもまあそうなるんだろうかね。

竹原市 大久野島

周囲4キロしかない小さな島であるがゆえ天敵に出会う事もないウサギ達は呑気に大繁殖しまくりみるみる頭数を増やしていった。現在島には300羽程度の野生ウサギが生息しているそうだが、あまりに警戒心が無さ過ぎで観光客が来るとエサが貰えるだろうとホイホイ寄って来る習性が身についている。宮島の鹿みたいなもんか。

竹原市 大久野島

こいつみたいに片耳だけ折れていたりするともうたまりませんね。ウサギにも老若男女いて、こいつのように若くて毛艶の良いものもいれば禿げかかってくたびれた奴もいる。人間と同じ十人十色で毛色も様々だが、後に捨てウサギとして持ち込まれた個体との間で繁殖して雑種が出来てしまったそうだ。

竹原市 大久野島

島の通路から少し離れるとウサギが掘った穴がボコボコ空いている傍ら、人間様が潜り込む為の穴も沢山残されている。これは「幹部用防空壕跡」、通称たこつぼと呼ばれていたもの。もしもの爆撃に耐える為に頑丈なコンクリートでこしらえられてます。

竹原市 大久野島

大久野島には定住している島民は全く居ないので、一応無人島の範疇には入るのかも知れないが「休暇村大久野島」といった宿泊施設もあって島に泊まる事も可能だし、比較的観光整備は行き届いている。この日も大阪からやってきた小学校2校が休暇村で宿泊していたようで、島内には大阪弁丸出しではしゃぎ回る子供の姿が多かった。

竹原市 大久野島

特に大久野島だけに多くのウサギが見たいなと思うならば休暇村大久野島の建物がある一帯に向かうと良い。第一桟橋から徒歩10分、第二桟橋から徒歩5分程度の場所にある。休暇村利用客なら桟橋から往復している送迎バスを使うと楽だ。

竹原市 大久野島

休暇村の前にやってくると木陰に隠れて大久野島育ちの多くのウサギさん達が休憩中ですよ。一体何匹居るんだよ!マジで多すぎ。

竹原市 大久野島

特にヤングな個体は毛艶も綺麗で、まさにぬいぐるみ同然ですな。捨てウサギの持ち込みもダメですが、可愛いからといって人間様の勝手で持って帰ったりしないでください。

竹原市 大久野島

本当にここいら一帯ウサギだらけでした…一応忠海港や休暇村で「ウサギのえさ」も買えるのだが、野生動物だしうっかり噛まれたりすると面倒臭いので、ノータッチでいきます。気持ちは抑えて見るだけにしときます。

竹原市 大久野島

後ろ姿も萌え萌えぴょん。ウサギさんかわいいね。しかし大久野島までやってきてそれだけで満足して帰ったらリア充のバカップルみたいなので、ちゃんと毒ガスの島だった歴史や戦跡も見て行きましょう。さあここからが本題です。

竹原市 大久野島

周囲4キロの大久野島は毒ガス製造工場があった為、軍事的に秘密扱いとされ戦時中までは地図に島の存在自体が書かれない「地図から消された島」だった歴史がある。また島全体が芸予要塞の一部であったが、要塞としての役目は昭和の初めに豊予要塞の整備に伴い廃止、その頃から毒ガス工場の整備が始まり、元から居た島民も立ち退き、島全体が旧陸軍の管理下に置かれる事になった。

竹原市 大久野島

ウサギさんはさておき、この島に来たら必見なのが「大久野島毒ガス資料館」。この島で毒ガスを製造していた事実は初めて昭和59(1984)年に報道されるまで戦後40年近くもの長い間秘匿されてきた。資料館は昭和63(1988)年に開館以来、大久野島の毒ガス製造工場や元従業員やその遺族から寄贈された資料などの展示を行っている。入館料100円。

竹原市 大久野島

毒ガス資料館のある付近には平和教育の一環とやらで訪れた小中学校が残していった千羽鶴が大量にぶら下がっており広島の平和記念公園を彷彿とさせる。原爆ドームや平和資料館とセットで訪れる広島の平和教育のメッカであろうか。

竹原市 大久野島

それは構わないが、こういう千羽鶴を掲げたがる学校が何故か関西地方に偏るという状況は何を物語っているのか。あの何かと話題の人権博物館が学区にある大阪市立の某小学校も来てました。熱心ですね本当に。

竹原市 大久野島

戦後長らく秘密のベールに包まれた「毒ガスの島」で起きた事実の下、毒ガスによって身体に障害を受けて亡くなった人間も多い。資料館の近くにはこのような慰霊碑も置かれている。元工員など、毒ガス障害者に認定されている人数は2600人以上に登るそうで、毎年島で慰霊式が行われる。

竹原市 大久野島

慰霊碑や資料館のあたりには島の鎮守である大久野島神社もある。毒ガス工場が建設された昭和初期からあった神社らしい。参拝客もおらず、相変わらずウサギが我が物顔で動き回っている。

竹原市 大久野島

桟橋から休暇村まで時計回りで来たのでそのまま島を一周する事に。岸壁沿いには大阪から来た小学校の一団が魚釣りに興じていた。大阪方面の学校の修学旅行ではやはり大久野島は定番なのだろうか。

竹原市 大久野島

しかし肝心の毒ガス工場跡というのは、戦後に進駐してきた連合国軍の手によって破壊されたりして名残りを留めているものがあまり存在しない。「毒ガス貯蔵庫跡」などと案内看板が跡地に添えられているが、柵で仕切られていて中には入れない。休暇村から先、島の西側にございます。

竹原市 大久野島

あと残っていたのがこれ。トイレの跡である。落ち葉で覆われてはいるが、しっかり仕切りの壁と便器の穴が残っているのでどう見てもトイレにしか思えない。

竹原市 大久野島

ここも案内看板には「毒ガス工場時代トイレ跡」と書かれていた。トイレの肥溜めから発生する毒ガスとかそういうオチとは無関係で、やはりここでは「毒ガス」の文言を入れるのが重要なんですかね。

竹原市 大久野島

結構あれこれ物々しい遺構がコンスタントに現れるものの基本的に現在の大久野島はリゾートアイランド。テニスコートなんぞがこしらえられていて休日には健康的な光景が見られるようです。

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新日本DEEP案内およびDEEP案内シリーズ管理人兼編集長。2007年「大阪DEEP案内」開設、2008年「東京DEEP案内」開設、2009年「日本DEEP案内」開設、2010年「世界DEEP案内」開設、2013年「新日本DEEP案内」開設。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。首都圏を中心に飛ぶような売り上げを記録し増刷決定。
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