原爆スラムの名残りと広島復興の象徴「基町団地」を歩く (全3ページ)

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終戦直前に原子爆弾の惨禍に見舞われた広島市の中心部、そこには世界で唯一の被爆国たる日本の歴史を伝えるべく原爆に破壊され煉瓦と骨組みだけが残った旧広島県産業奨励館の建物が「原爆ドーム」として保存されている。今更説明の必要もない建物だ。

そこは日本が世界中に原爆という兵器の恐ろしさを伝える平和教育のメッカとして、日本中の学生が修学旅行なりで訪れる場所となっている。負の世界遺産…何度見ても重苦しい気分になる建物だがこれが平和都市ヒロシマのシンボル。

しかし連日のように修学旅行生でごった返すこの原爆ドームの近くに戦後建てられた「原爆スラム」の存在はあまり見向きもされない。

戦前までの広島市は軍都であり明治時代に陸軍第五師団が置かれて以降、様々な軍施設が街の中心部に建設されてきた。米軍はそれらの軍施設をもろとも破壊するとともに当時新兵器であった原爆の威力を実験する目的で広島市のど真ん中にあるT字の相生橋の中心を照準に投下した。市街地が壊滅し十数万人の命が奪われたたのはもちろん、軍施設の数々もまた一瞬に壊滅したのだ。

灰燼と化した広大な軍施設の跡地は原爆の被害から生き残ったものの家財一切を失った広島市民、それに在日朝鮮人、引揚者や疎開から戻ってきた人々が自然発生的にバラック小屋を建てて住むようになり「原爆スラム」と呼ばれるようになった。この原爆スラムは広島城の西側の本川沿い、現在中央公園となっている土地に広がっていた。

中央公園として整備されたかつての原爆スラムの土地。面影はなくなったがだだっ広いだけで空白地域のような佇まいを残していて今も不自然な感じが否めない。年々巨大化する原爆スラムは昭和45(1970)年頃には千戸を超える大規模なものへとなっており不法占拠は勿論のこと度重なる火事など問題を抱えていたのだ。

その原爆スラムは1970年代から広島市の再開発計画によってかつてない規模の巨大な団地として生まれ変わった。現在の「基町団地」である。三千戸を超える十数棟もの高層・中層住宅群が約10年ものあいだに次々建設されてきた。

「広島開基の地」を由来とする基町の地名を冠したこの団地、原爆スラムの住民に加えて街の復興で都市の過密化が進む広島市においてそれらの問題を一挙に解決すべく当時日本最大規模の再開発計画に基いて建設が進められたのだが、特に高層住宅は最大20階建てという高密度なもの。間近で見ると凄まじい迫力。

高層住宅の設計は当時の若手建築家であった黒川紀章などが進めていた建築デザイン運動「メタボリズム」の一員であった大高正人が担当、やたら建物がジグザグなのは全ての部屋への採光を考慮した造りになっている。昭和53(1978)年に完成した基町団地は復興の象徴として、また戦後の高密度住宅建築の集大成として大いに注目された。

高層住宅群は複数の「コア」で区切られている。コアなんて呼ぶあたりメタボリズムらしい。同じ一つの住宅棟でも住んでいる場所で「7コア」だったり「11コア」だったりする訳だ。一戸一戸が連結された細胞なんですね。

こんなにジグザグしまくりで迷ったりしないものかと思うのだが団地の一階部分は駐車場スペースになっていて往来が自由に出来る。まあなんとも計算され尽くした空間だ。

エレベーターで最上階の20階まで登ってみた。高層住宅を形成する18~20号棟の間に囲まれる形で団地住民の買い物拠点である基町ショッピングセンターと市立基町小学校や保育園などが配されている。

そこから外側を見ると1~16号棟の中層住宅棟がずらりと並ぶ。その向こうには本川が流れる。広島市には基町団地以上の高層ビルが殆どないのもあってここからの見晴らしは素晴らしい。

しかも屋上は庭園として整備されていて当初は住民の憩いの場に使われるつもりだったようだが防犯上の理由だかで閉鎖されてしまっている。雑草がボーボーに生えまくった屋上部分が僅かに見える。

市営住宅はペット禁止と注意書きが貼られた自治会掲示板。自治会の名前にもメタボリズム感漂う「五コア」という名称が使われている。

しかしエレベーターの中の注意書きには「犬を必ず抱いてください」と書かれている始末。やっぱり禁止されてても市営住宅でペットを飼う住民が多いのね。独居老人が孤独を紛らわせる為か、最初からルールを守るつもりもないのか。

団地の共用部分に貼られたポスターは概ね共産党。さすがに70年代の建築物ということもあって内部は古びた感じが否めない。築40年近くが過ぎた高層団地の住民も概ね高齢化して、ここも例に漏れず都会のど真ん中にありつつも限界集落化が進んでいる。

そして殆どの世帯の玄関ドアに取り付けられた「被爆国首相よ八月六日九日を人類総ザンゲの日として休日に制定せよ」と書かれたプレート。被爆地である広島と長崎の市中に出回っている「ヒロシマ・ナガサキ合体平和標語」。今も広島と長崎の市民は国に対して原爆投下の日を国民の休日に制定するよう働きかけているのだ。

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新日本DEEP案内およびDEEP案内シリーズ管理人兼編集長。2007年「大阪DEEP案内」開設、2008年「東京DEEP案内」開設、2009年「日本DEEP案内」開設、2010年「世界DEEP案内」開設、2013年「新日本DEEP案内」開設。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。首都圏を中心に飛ぶような売り上げを記録し増刷決定。
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