北陸最凶の珍スポット!親子二代の奇天烈彫像が洞窟にびっしりの「ハニベ巌窟院」が怪しすぎる件

石川県

北陸石川県で「珍寺」「B級スポット」という括りで調べるといの一番に出てくるのが小松市郊外にある「ハニベ巌窟院」だ。彫塑家・都賀田勇馬氏が開いた施設で水子供養などもやっている寺院の一種な訳だが、自ら制作した彫刻作品の数々を次から次へ並べまくって独特のカオスワールドが広がる珍妙な空間となっている。経営は初代の都賀田勇馬氏から長男の伯馬氏に受け継がれ、親子二代に渡っている。

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「ハニべ」という聞いた事のない不思議な言葉は埴輪を作る職人を意味する「埴部師(埴師?)」が由来らしい。あまりに有名過ぎる場所なので既に2007年に訪問していた訳だが、写真はその当時のものです。まあ今もあんまり変わってないと思うけど。小松駅から「ハニべ行き」の路線バスも出ているので車を運転出来ない人でも気合いがあれば何とか来れるが、普通は車で来る場所だ。北陸道小松インターもしくは国道8号から国道360号経由でどうぞ。

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ハニベ巌窟院の前に来るとまず出迎えてくれるのがこのハニべ大仏。異様に巨大だが肩から上しかないという状態。全長15メートルあるがもし完成すれば全長33メートル、奈良の大仏の倍の大きさになるとか。しかし製作者の初代院主が亡くなった事もあり未完成のまま放置プレイをかまされている。

しかし顔と肩の部分だけで15メートルで、全長が33メートルだったら「二頭身」になってしまわないかと思う訳だが、結局肩から上だけに留めておいてよかったのかも知れない。

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大仏が存在感でか過ぎて感覚が麻痺しそうになるが、ハニベ巌窟院の入口はその傍らにございますよ。ここで拝観料800円をお支払い下さい。白髪の婆さんが座っているがこの方が院主の奥さんかどうかは知らない。

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拝観料を支払いゲートを潜ると仏教テーマパークの始まり始まり、である。中に入ると膨大な数のお地蔵様が置かれていたりして早速雰囲気が異様だ。水子供養に関係したものらしい。

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他にも院主が築き上げた仏像の数々が周囲に置いてある。厳密には仏教寺院ではないのだが、この様子を見るとお寺のそれと殆ど変わりがない。

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肩から上だけの巨大ハニべ大仏の下は小さな水子地蔵が陳列された礼拝室になっていた。なぜ水子供養が行われるようになったか詳しい因果関係が今ひとつ分からない。

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オモチャなんぞが括りつけられている水子地蔵の一つ一つにリアリティを感じる。皆望まれなかった命だろうか。後味の悪い思いをしないようにファミリープランニングを怠らないようにしたいものだ。

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そんな場所にハニべ大仏の建立にまつわる話が書かれた額がデーンと張り出されている。二代目院主伯馬氏の名前があった。

「今を去る三十余年戦禍の跡未だ癒えず国土復興の前途猶遠きを思わせる頃、一代の彫塑家都賀田勇馬が丈六の大佛を謹刻し奉り世界万世の平和と戦没者慰霊を祈念し大本山ハニベ巌窟院を開洞す」

初代院主は戦後間近の1951年にこの場所にやってきて大仏の製作を始める。それがハニベ巌窟院のはじまり。壮大なストーリーを感じさせるが、この先に広がる風景は世界平和や戦没者慰霊云々といった大義名分とはベクトルがあさっての方向にすっ飛んでいる。

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さらに奥へと進むと山道に入る為上りとなる。都賀田勇馬氏が生涯に渡り彫像製作を続けてきた洞窟というのはこの先だが、手前には水子地蔵堂の建物がある。またしても水子供養に関わるものだ。

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先ほどの大仏下の礼拝室よりもこちらの方がスケールがでかい。これだけ沢山あると水子供養の参拝者もそれなりに多いはずだ。ハニベ巌窟院は彫像製作と水子供養の二本柱で経営しているようだ。あとは拝観料収入くらいか。

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現在の院主である二代目も既に70過ぎの爺さんになるが、彫像製作も時事ネタを取り込んで色々とヤバい方向に暴走してしまい、ハニベ巌窟院の珍スポットぶりを加速させた張本人なのだ。

ちなみに二代目院主は2004年に水子供養に来た30代女性に「水子の除霊をします」と言って『お触り』しちゃったらしく強制わいせつ罪で警察の御用となっている(→詳細)。

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