築100年超の現役妓楼建築!八戸小中野遊郭跡・旧新陸奥楼「新むつ旅館」に泊まる

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以前訪れた青森県八戸市の小中野遊郭跡。もうあれから2年以上も経ったが、この遊郭跡に来て次こそは泊まってやると思っていた明治時代の妓楼がそのまんま旅館として使われている「新むつ旅館」。

今回この旅館にしっかり宿泊出来たので当サイトでもレポートしたい。場所は小中野六丁目、縦横二本ある遊郭跡の街路のうち、縦の街路をずずーっと南端まで入っていくと建っております。

毎度ながら気まぐれな日程なので予約の電話を入れたのが前日だったんですが、まあ問題なく泊まれました。再度訪れた旧新陸奥楼の建物は重厚感溢れる唐破風もそのままに、全く変わらず残っていた。

玄関扉を開けると正面に広間、右手側に特徴的なY字階段がある。何度もネット上で見たりもしたがやっぱり実物を見ると嬉しいですね。客が泊まる部屋は階段を上がった先の二階になるが、夕食や朝食を食べる部屋や浴場、それに宿の主人の私室は全て一階廊下奥に棟続きになった別館の方になる。

Y字階段がある一階の広間はソファーとテーブルがあり八戸の観光案内のパンフレットやらが置かれている。周囲には神棚や家具、それに映画ロケに使われた時の俳優との記念写真などがあった。

広間に取り付けられた巨大なお多福の面。こういったものもかつて遊女屋であった事を示す重要なアイテム。

一階広間に置かれたピアノの上に映画ロケで訪れた俳優との記念写真が飾られていた。よく見りゃ豊川悦司じゃん。しかも若い。「傷だらけの天使」(1997年)の東北ロケの一環で新むつ旅館に来たんですね。

食堂にはNHKドラマ「修羅の旅して」(1979年)で岸恵子が新むつ旅館の前を歩いているシーンの写真も飾られていた。

広間の脇、Y字階段に隠れて見えるのは電話室である。ガラス窓に書かれている4桁の数字は昔の電話番号だろう。

そして大きな吹き抜けの上には明かり取りの天窓がついているのが見える。明治30年頃というのはまだ電灯も普及してなかった時代な訳で、明治期以前の建物ではこういうのよく見かけますわな。

新むつ旅館の内装の中で最も印象に残るのが何といってもこのY字階段と二階部分の空中廊下であろう。100年経っても綺麗に掃除が行き届いている。

一階と二階を結ぶY字状の階段。黒光りする木の質感が艶かしく八戸の港町で100年前に生きた色里の情景が思い浮かぶ。それではこの階段を和服姿でいかにも遊女っぽい目線を投げかける八戸市議会議員藤川優里さんの動画をお楽しみください。

吹き抜けの中に空中廊下が通された二階部分。100年以上経った建物でもビクともしとりません。重厚な見た目通りに丈夫な建物なのだ。ちなみに2011年3月11日の東日本大震災においては津波が手前あたりまで来たらしいが浸水被害はなく地震で建物が壊れたという事も一切ない。

室内は一番狭い部屋に当たってしまいちと残念な感じ。ギリギリに予約の電話を入れたのもあるが、まあその意味では早い者勝ちだね。先客のカップルさんが泊まっていた隣の部屋が当たりだった。

新むつ旅館の何が凄いかというと部屋のテーブルに何の変哲もなく置かれた「遊客名簿」。明治時代にここが遊郭だった事を示す確実な資料である。二冊あるうちの一方は大量の付箋が付いてあった。

気になってしょうがない遊客名簿は部屋に居る間は好き勝手に読めてしまう。正直これは文化遺産級の資料だと思うのだが無造作に部屋に置いてあるのいうのが大雑把というか面白いというか…古い字体で書かれているのが多いので読みづらいが頑張って読んでみる。薄いながらも丈夫な和紙だが100年以上前のものだ。慎重にページをめくる。

今見ているのは明治38(1905)年頃の新陸奥楼の客の名簿である。住所氏名年齢から姿形、支払った金銭の額、相方として着いた娼妓の源氏名まで簡潔であるが事細かに記載されている。小雛さん頑張りすぎてます。大体が八戸近郊だが結構他の地方から来た客も多い。東京市小石川区とか…

特に近所の客の場合は曾祖父さんとか何世代か前のお父さんが何月何日に遊びに来て誰が相手したかも一発で分かるので、ある意味近所中には知られたくないと思われる名簿である。我々は旅人でしかないので遠慮なく見てますがね。

名簿の裏表紙には日付と新陸奥楼の楼主である川村佐和恵という人物の名前が書かれている。現在の新むつ旅館の主人のご先祖である。明治30(1897)年に建てられ翌年創業。贅を尽くした建物だったがたった3年程度で建築費用の元が取れたくらい儲けたらしい。

玄関側に面した大部屋。こちらは既に予約の客が来る前の段階で布団だけ敷いてあった。全ての部屋が見たい欲求に駆られるもお客さんが居たら無理ですからね。これも運です。

二階部分の部屋の間に通された廊下を進むと裏階段が突き当たりにある。遊郭にはありがちな仕様ですわな。行きと帰りの客がバッタリ鉢合わせにならない為の工夫です。

吹き抜けから一階部分を見下ろす。明治時代における贅の限りを尽くした豪勢な内装がじっくり堪能できよう。手摺は低いめに作ってあるので酔っ払ったり寝惚けて夜中トイレに行く時は注意が要る。

再び一階へ。食堂へ通じる長い長い廊下。途中の本棚に置かれている本も気になると言えば気になるが、速攻で寝てしまい結局夕飯の時間と風呂以外は通る機会が無かった。

一部現役時代から使われていたという高級な食器に盛られ、郷土の幸をふんだんに盛り込んだ夕食を頂いて、まあ朝食は取らずに陸奥湊の朝市で食ったのだが、それでも宿泊代金は1人6500円と割安だった。

夕飯時に主人の奥さんである女将に色々話を聞いたが嫁に来るまでは小中野の遊郭の事は何もご存知なかったそうだ。新むつ旅館は2007年に国登録有形文化財に指定され、建物の保護の為に地域の協力に加えて募金を行うなどして改修費用を賄っているらしく宿の売上だけではなかなか苦しいようだ。

元遊郭だからと言って歴史も建物も闇に葬られる場合が殆どで、まあ料亭街だお茶屋街だと誤魔化したりする場所もあるが、あくまで「遊郭」という括りで建物が国に文化財登録されるケースは稀である。思いつくのはせいぜいこの新むつ旅館と大阪飛田の鯛よし百番、あとは伊勢の麻吉旅館くらいか。

新むつ旅館には明治の風情残る遊郭跡の宿として末永く生き残ってもらいたいと思った次第。

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新日本DEEP案内およびDEEP案内シリーズ管理人兼編集長。2007年「大阪DEEP案内」開設、2008年「東京DEEP案内」開設、2009年「日本DEEP案内」開設、2010年「世界DEEP案内」開設、2013年「新日本DEEP案内」開設。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。首都圏を中心に飛ぶような売り上げを記録し増刷決定。
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