隔絶された世界、人口僅か1世帯2人の超限界集落・奄美大島「青久集落」に至る道が険しすぎる件

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山口県の限界集落で物騒な事件が起きて、田舎暮らしでの人間関係とは何なのかと考えさせられる昨今。日本全国あちこちに高齢者ばかりが肩を寄せあって暮らす限界集落はあれど、鹿児島県の奄美大島に僅か1世帯しか暮らしていない「超限界集落」と呼べる場所があったので、どんなものか見に行ってきた。

奄美市 住用町青久

それは奄美大島南部の旧住用村にある「青久」(あおく)と呼ばれる集落の事だ。奄美大島も結構でかい島で、しかも入り組んだ地形で思った以上に移動に時間が掛かる。名瀬市街地から旧住用村役場まで車で30分くらい。そこから青久集落の手前にある市集落まで行くと、後は離合が難しい山道を延々と進む事になる。

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「むちゃ加那の碑」と案内があるのが青久集落がある方だ。こうした案内では普通は集落の名前を書くものだが、何故か青久ではなく碑の名前で案内されている。もはや集落と呼べるものでもないからか。奄美大島を代表する歌手である元ちとせの故郷、瀬戸内町の嘉徳集落も、この山道を抜けて行けるらしく案内看板には「嘉徳」の表示があるが、崖崩れで通行止めですから。最初、嘉徳側から行こうとしたけど無理だったので回りこんできたんですよ。土砂崩れは日常茶飯事という奄美の自然環境、半端ないです。

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市集落から嘉徳方面に抜ける山道から分岐して青久集落へ向かう。ここから集落まで3キロ、今度は延々とつづら折りの下り坂を降りて行かなければならない。車の離合は困難を極めるだろうが、まず行き交う車自体居ない。第一この辺り、離島の秘境と呼べる場所で、奄美大島に長く住んでいる島民でも殆ど来た事がある人間も居ないだろうし、青久集落の存在自体も知らないだろう。

奄美市 住用町青久

本格的に峠道に差し掛かり道は森の中に埋もれていく。途中でガジュマルやら何やらでかい樹木がいくつも生えている。案内看板にもあった「むちゃ加那の碑」は奄美大島に伝わる悲しい美女の伝説に基いて青久集落の片隅に建てられている。我々はそれが見たい一心だった。

奄美市 住用町青久

しかし残酷にも青久に向かう道は既に舗装路ですら無くなってしまった。地肌が剥き出しになったどころか土砂災害の直後のような荒れた状態。ちょうど道路工事の業者が来て作業をしていたのだが、頻繁に道が寸断されてしまうのだという。何度も言うけど青久集落に向かう唯一の道がこれですよ。やはり大雨が降る度にしょっちゅう孤立状態になるのだろうか。

奄美市 住用町青久

我々は果たしてこの集落から帰る事が出来るのだろうか…とちょっと本気で心配してしまいそうになる頃、視界が開けて山の谷間に青久集落らしきものが見えてくる。集落とは言うが家がどこに建っているか分からない。どんな秘境なんだよここ。

奄美市 住用町青久

ガタガタの未舗装路をエンヤコラと下っていった先に現れるゲート。青久集落では牛を放し飼いにしているらしく、逃走防止のためにこのゲートが置かれてあるそうで。工事の業者がいるためかゲートが開け放たれてた。

奄美市 住用町青久

そしてようやく辿り着いた青久集落。特徴的な丸い石で組まれた石垣が片側にずらーっと繋がっている。ここが集落唯一の住民の土地になっていて、辛うじて廃村を免れているのだ。1世帯に老夫婦お2人が住まれてるらしいです。あのガタガタの山道が辛うじて車道として機能しているので、ここの世帯の方は離村を踏みとどまり暮らしているという。

奄美市 住用町青久

目の前に広がるのは青久海岸。事実上のプライベートビーチか。ごつごつした石が転がっていてあんまり泳ぎたくなるような浜ではない。集落以外の海岸線が切り立った崖に囲まれていて、海岸線伝いに隣の集落に行ける状態ではないのは明らかだ。奥の方に滝まで見える。これを秘境と呼ばずに何と呼ぶのか。

奄美市 住用町青久

唯一の民家の境界線を成しているこの石垣の石も、目の前の海岸から持って来られたものだろうか。周囲の海岸線の形状上高潮被害が酷いらしく、この石垣が防潮壁の役目を果たしている。戦後のアメリカ統治時代から人海戦術で7年ごしの年月を掛けて築かれた、日本復帰後の奄美群島復興事業第一号ともいう由緒ある玉石垣。なんとも原始的な光景。

奄美市 住用町青久

石垣の向こうに青久集落で唯一の民家と農地がある。生活の糧はやはり自給自足と聞いた。唯一の車道が豪雨災害なんかで崖崩れを起こすと自衛隊が救助にやってくるのだが、住民は何かあったんですか?とばかりに平然としている、という場所。この集落から外に出る事も、恐らく月に何度もないだろうな。

奄美市 住用町青久

民家の敷地内で飼われている牛。青久集落にいる間、工事関係者以外ではこの牛しか見かけなかった。他にも山羊とかいるらしいですが。これでも終戦後の昭和20(1945)年には23軒72人の人口を数えていたそこそこの集落だったらしい。こんな隔絶された土地では不便極まりないので、みんな名瀬や古仁屋などに出て行ったそうです。

奄美市 住用町青久

石垣の上に載っているのは人名が記された古い石碑。見た感じ表札という訳でもなさそうだが集落の偉い人でしょうか。こんな隔絶された秘境で土地を守り続けてるのは並大抵のことではない。元ちとせの故郷がある嘉徳もたいがいな場所だが、青久は間違いなくそれ以上だな。

奄美市 住用町青久

…で、我々が見たかった「むちゃ加那の碑」というのは…川を挟んだ向こう側にあった。目の前に橋とか架かってません。足を川に漬けてずぶずぶ行くしかない訳だ。原始的だ…大雨で水かさが増したら無理っぽい。っていうか無茶かな(これが言いたいだけ)

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「むちゃかな」というのは江戸時代末期を生きた女性。絶世の美女「ウラトミ」の子として喜界島に生まれた。ウラトミもその美貌から薩摩藩の役人の欲望の対象となるが、それを拒絶した為に生まれ故郷だった加計呂麻島の生間(いけんま)から僅かな食糧を積んだだけの小舟で島流しにされて喜界島に漂着している。

むちゃ加那もまた美女であった為に島の娘達に妬まれ、遂には海に突き落とされて死んでいる。その遺体がここ青久集落に流れ着いてきた事から石碑が置かれている。むちゃ加那の母ウラトミも悲惨で、娘の後を追って入水自殺という最期を遂げている。島で唄われる「むちゃ加那節(ウラトミ節)」も有名。

奄美市 住用町青久

僅か1世帯2人となった奄美大島の秘境・青久集落。限界集落の中でも極限状態にあるには間違いない。ここもそのうち無人地帯になってしまうのではないか気掛かりだが、ここなら田舎暮らしを憧れても近所に村八分にされ「つけび」される心配もなさそうだし、誰か移住したりしないもんかな。沖縄の外離島に住んでるマッパのオジサンみたいなのは、奄美大島には来ないんでしょうかね。静かに住むにはこれ以上の環境はないと思うんですけど。

奄美市 住用町青久

…で、さっきまでのガタガタの山道をまた登って戻らなければならない訳だが、不安が的中。砂利道にタイヤを取られて登れなくなってしまった。すぐそばで仕事中だった工事作業員がやってきて、ユンボで地ならししてもらい、事なきを得た。我々は奄美大島には自家用車をフェリーに積んで来たけど、レンタカーで来ると修理代請求されかねん。もし不安なら3キロ手前の所で車を降りて歩いて下った方が良い。


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新日本DEEP案内およびDEEP案内シリーズ管理人兼編集長。2007年「大阪DEEP案内」開設、2008年「東京DEEP案内」開設、2009年「日本DEEP案内」開設、2010年「世界DEEP案内」開設、2013年「新日本DEEP案内」開設。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。首都圏を中心に飛ぶような売り上げを記録し増刷決定。
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